今から「新興宗教の教祖」になれる? キリストはどうやって世界中に教えを広めたのか

社会

公開日:2019/2/17

『完全教祖マニュアル』(架神恭介、辰巳一世/筑摩書房)

「私、教祖になる!」と言ったら周囲の表情は凍るだろう。

 教祖とは、宗教を興した人のことで、教団のトップ指導者であることも多い。私の家はお寺でも神社でもない、教会とも縁がない。だから、これから教祖になるということは、新興宗教の教祖になるということだ。だが、日本での新興宗教という言葉は、現在信じている人には大変申し訳ないが、あまり良いイメージがない。

 それでも、教祖を職業として見てみると、なかなか良い商売だと思うのだ。人々をハッピーにすることでお金を貰えて、信者からの尊敬も得られるのだから。

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『完全教祖マニュアル』(架神恭介、辰巳一世/筑摩書房)は、タイトルの通り、教祖になるにはどうしたらいいかが書かれたマニュアルだ。本書では教祖や宗教について極めてビジネス的に捉えていることが特徴で、神の声が聞こえないという凡人でも、ひとつの宗教団体を立ち上げて、さらに運営していくにはどうしたらいいのかが解説されている。

■個人の布教から世界へ。キリスト教の道のりは?

 では、実際に教祖になる方法だが、何事も先達に学ぶことは大切。まずは、世界的な宗教のひとつキリスト教の始まりを参考にしてみよう。

 キリストは、ユダヤ社会で生まれた大工の息子だが、30歳を過ぎてからの3年間の活動を通じて、現代でも世界一有名な教祖となった。では、キリスト自身はどんな活動をしたのだろうか。

 キリストが生まれた社会では、日曜日は安息日なので元来働いてはいけないのだが、彼は日曜日でも病気の人を癒した。また、穢れた職業として蔑まれていた徴税人や娼婦にも分け隔てのない態度で接した。

 こうした行動は今の感覚だと、キリストの方が人として正しい。だが、当時としてはとてつもない反社会的行為だった。徐々に、社会的な弱者を中心に支持者が増え、キリストは彼らの精神的支柱となっていくのだが、当時の権力者にとっては、既存の掟に従わない反社会的異分子と見なされていたに違いない。そう、世界的宗教もはじめは、顔をしかめられるような新興宗教だったのだ。

 反社会的と見なされているわけだから、新興宗教に迫害はつきものだ。本書には、「ここで負けないためには、信者同士の結束力を高めて自分たちは特別だという意識を持たせることが必要」とある。具体例は次の通りだ。

■信者の一体感を強めて、「居場所」をつくってあげることが大切

 結束力を高める具体的な方法は、生活の中の規則を作ること。日曜日に一定の場所に集まってお祈りをするとか、食事に制限を設けるなどだ。大変そうだと思うのだが、信者はこうした行為により、自分が特別な価値を持つこと、および自身のアイデンティティを確認できる喜びを得られるようだ。

 結束力を高めることは、所属意識を高めると考えてもいいかもしれない。自分には仲間がいるという気持ちや、そこに自分の居場所があるというのは、強い安心感を得られるに違いない。

 こうして読んでいくと、本書は、教祖になるかどうか、あるいはそれが新興宗教かどうかを超えて、“宗教そのもの”について考える1冊であることに気付く。

 純粋な信仰とはそんな下世話なものじゃないだろうというお叱りの声があることを承知でいうと、宗教とは、今の社会の物差しでは満たされない人に新しい物差しを与え、居場所を与える仕組みなのではないか。さらにいうと、教祖たるべき者は、たとえ自身がその物差しを信じていなくても、信者にはそれを絶対的に信じさせなくてはならないのかもしれない。

 物差しが揺らぐことは迷うことにつながり、幸福感に水を差すからだ。世界的な宗教が長い歴史の中で、ときには血みどろの改革があり、各派に分裂しているのも、内部の誰かが信じる教義に対して迷い、疑問を呈したことに端を発している。

 職業として教祖になるのなら、人を幸せにする対価を金銭で遠慮なく受け取らなくてはならない。ビジネスなのだから、もちろんなるべく多くの金額を。

「職業=教祖」、成功すればおいしそう? ――だが、どうにも私には無理そうだ。

文=奥みんす