お好み焼きは大阪発祥じゃなかった!? 執念の調査が解き明かすルーツ

食・料理

公開日:2019/3/2

『お好み焼きの物語 執念の調査が解き明かす新戦前史』(近代食文化研究会/新紀元社)

 ここ最近、食べ物の歴史にハマッている。たとえば、肉ジャガはイギリスに留学経験のある東郷平八郎がビーフシチューをもとに作らせたと云われているけれど、そもそも当時のイギリスにはビーフシチューに該当する料理は無かったらしい。他にも、インドからイギリスを経由して入ってきたカレーに、小麦粉を入れてトロみを付けるのが日本風カレーの特徴で日本海軍が始めたとされている。しかし、その調理法はイギリスの古い料理本にレシピが載っているのだとか。自分の中の常識が崩れるのが快感となって、もっと何か無いかと探していたら、『お好み焼きの物語 執念の調査が解き明かす新戦前史』(近代食文化研究会/新紀元社)を見つけた。なんと、本書によれば「お好み焼き」の発祥は大阪でも広島でもなく、東京だという。

 本書を手にして驚くのは、まずその厚さだ。著者によれば本書を執筆するにあたり収集した資料は本だけでも2500冊以上にも及び、その他に雑誌や新聞記事を参照したという。記憶力の限界を感じた著者は、コンピューターにアウトソーシングすることにしたそうで、本書のコラムでは「大量の資料管理方法、その秘密教えます」と題して、調査方法やデータの検証の仕方なども記しており、昨今のWikipediaから引用しただけなのではと疑いたくなるような、ページも内容も薄い本とは一線を画している。

 お好み焼きの歴史であるが、そもそも料理としては存在しないという話に驚く。それはたとえるなら、「焼肉屋にいっても、メニューに“焼肉”という料理名はない」のと同じで、あくまで料理のカテゴリーだったそうだ。明治末期から大正時代のお好み焼き屋台のメニュー一覧には、「エビ天プラ一銭」「カツレツ一銭」「お壽司(寿司)二銭」とあり、これらが全て“お好み焼き”とのことで、これだけ見ると何が何だか分からない。謎を解く鍵は、当時のお好み焼きの価格。当時の格安洋食レストランにおけるカツレツの値段が、チキンカツ20銭、ビフカツ10銭、ポークカツ8銭のため、お好み焼き屋台の一銭というのは「本物を作ったとは思えない値段」である。

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 著者によれば、お好み焼きは江戸時代の「文字焼」がルーツで、それは職人が小麦粉を焼き、技巧を凝らして文字や魚などの形態模写を行なうものだった。やがて、職人が焼くのではなく子供たちに焼かせる屋台が出現し、駄菓子屋が文字焼を取り入れていったという。このことから、お好み焼きはパロディ料理だと著者は考察している。つまり、お好み焼き屋台のカツレツは、駄菓子屋で売っているパン粉などの衣がメインのトンカツのようなもの。現在のお好み焼きのメニューで見かける、えび天などの○○天というのは天ぷら料理のパロディなんである。

 また、お好み焼きは西洋料理のパロディでもあるらしい。というのも明治20年代からフライやカツにウスターソースをかけるようになり、西洋料理が高級料理でもあった当時の庶民は、「ウスターソースさえかかっていれば、それは洋食」と認識していたらしく、ウスターソースをかけたお好み焼きは、安価に洋食を楽しめるものだったという次第。本書では、このウスターソースを共通点として、お好み焼きとならんで鉄板焼きのメニューにある焼きそばの歴史も探求している。

 とにかく、著者が真相に迫っていく手法が実に面白い。実は作家の池波正太郎は生前、「どんどん焼き」と呼ばれていたものを「お好み焼き」と命名したのは同じく作家の高見順だと発言したことがあり、それは間違いだと指摘するのだが、その根拠は膨大な資料の中から著名人がどちらの名称を使っていたのかを調べ上げ、子供たちがお好み焼きにどんどん焼きという「あだ名」を付けたことを突き止めてのこと。さながら、指名手配犯の足取りを追うために目撃者の証言を集める刑事のようで、読んでいてワクワクした。久方ぶりに幸せな読書体験をできたことに感謝したい。

文=清水銀嶺