老人はコールセンターにすがりつく…。肩書を失ったエリートほど“寂しい老後”が待つ現実

社会

更新日:2019/3/4

『この先をどう生きるか 暴走老人から幸福老人へ』(藤原智美/文藝春秋)

 日本人の平均寿命が延び続ける一方で、社会問題である「孤独死」や「孤立無援」もまた増加傾向にある。今は青春を謳歌していても、今は仕事で大きな成功を収めていても、孤独と無関係そうなエリートほど“寂しい老後”が待っているかもしれない。

 そう指摘するのは、『この先をどう生きるか 暴走老人から幸福老人へ』(文藝春秋)だ。著者は、1992年に『運転士』で芥川賞を受賞した藤原智美氏。約10年前にベストセラーになった『暴走老人!』は、小説家としての鋭い目線で、街や人前ではしたない行動を繰り返す老人たちの心理を読み解き話題になった。

 新たに刊行された『この先をどう生きるか』では、「どうしたら生きがいのある老後を過ごせるか」をテーマに、現代の老人たちの姿とちょっと同情してしまう心境を鋭い視点で解説している。

advertisement

■仕事を辞めても消えない“自負心”につけこむ詐欺師たち

 一昔前の老人のイメージは、流行に疎くて機械音痴。アナログに生きている時代遅れな姿が思い浮かんだ。しかし現代の老人たちはネットが大好きだ。総務省の2016年度の調査によると、60代のネットの利用率が75%に達し、さまざまなトラブルに遭う高齢者が増えている。

 ある80代の男性は、ネット詐欺に遭い半年間で2000万円を騙し取られたそうだ。現役時代は大企業の役員にまでのぼりつめ、仕事でもパソコンを使いこなす優秀なビジネスマンだったそうだが、なぜこんなことになったのか。

 当然だがエリートな人生を歩んだ人ほど、自己評価が高い。大勢の部下を指揮して業績を挙げた自負心が強いのだ。仕事を辞めてもなお消えない自負心は「有能な自分が騙されるはずがない」という思い込みを生む。そこへ詐欺師から「あなたの豊富な人生経験を見込んで正しく導いてほしい」という“エリート心”をくすぐるメッセージが届くと、コロッと騙されてしまう。

 エリートに関係なく、人は老いれば誰かと会う機会が自然と減る。すると相手がどんな人間で、何を望んでいるのか推察する高度なコミュニケーションの機会が減り、人を見る目や判断力が鈍ってしまう。

 なんと国民生活センターに寄せられたアダルトサイトに関するトラブル相談は、60代が最も多く、次いで70代なのだとか。本書には、アダルトサイトに依存してしまった高齢男性が、息子夫婦が心配して家を訪れても、われ関せず無心で動画を延々と見続けるエピソードが記されている。恐ろしい…。

 しかし老後に気をつけなければならないのはエリートだけではない。普通の仕事人生を歩んだ人も、ある対話のクセが抜けなければ周りから疎ましがられる存在になる。

■老人はコールセンターにすがりつく

 当たり前だが、会社で長く働けば年功序列が働いてどんどん昇進する。上司が指示を出して部下に業務をさせる経験は、年齢が増すほど増える。しかしこれはあくまで「会社」での地位。定年退職した後は、ただの「個人」だ。しかし男性ほどこのクセが抜けないと藤原氏は語る。

 ある男性は老後に暇を持て余して、妻に勧められて自治会に参加した。はじめは「ママゴトだ」と馬鹿にしていたが、いざ参加すると自己紹介でかつてのキャリアを語り、これまでの活動を詳細に分析して批判し、実情にそぐわない提案を繰り返した。挙句の果てには、自分で勝手に用意した書類を女性に差し出して、「これを人数分コピーして」と指示して反感を買い、見事にすったもんだを起こしてしまった。そして再び老後の暇を迎えたという。

 長い仕事人生で染みついた「上下の関係」。出会う人すべての力関係を見定め、会社の秩序にもとづいた関係であるかのように振る舞う。これを藤原氏は「上下の対話」と表現する。仕事に生きてきた男性ほどこの「習性」が強く、個人として「対等の対話」を求められる老後はストレスがたまりやすい。老後になって“肩書を失った環境”に適応できない人はやがて人間関係が億劫になり、気がつけば孤独になるという。

老人はコールセンターにすがりつく

 本書でそう語る藤原氏の言葉がぐさりと胸に刺さる。現在、コールセンターにかけてくる人の4割は60歳以上だそうだ。話し相手のいない老人が、問い合わせの後に身の上話をする。夜遅くになると、酒に酔ってかつての自慢話を語り、最後は「いま俺は独り身でさぁ」と寂しそうにしめくくる。藤原氏の知人はこんな風に愚痴をこぼしたという。

「だれかと話がしたかっただけ、としか思えない人が多い。人恋しい、ということだろうか」

 一方で、コールセンターで暴言を吐く老人も数多い。「お前は使えないやつだ」「社員教育がなっていない」「会社の質が悪い」。まるで上司のようだ。まさしく「上下の対話」だ。なぜこれほどまでに、はしたなく、寂しく、悲しい孤独を振り回す老人がいるのか。

 藤原氏は彼らの心の中に膨らみ続ける心理を見抜いた。「虚栄」だ。過去に輝いていた自分の姿を捨てきれず、「会社」での地位を忘れられず、「個人」の振る舞いができない。彼らは、定年を迎えて会社を離れ「第二の人生」をスタートさせることが、肩書を失ってひとりの人間として生きる「人生の初期化」だということに気づけない。そうして寂しさや怒り、孤独からくる不幸感に襲われて、まるで駆り立てられるかのように、街で見かける「暴走老人」へと変貌していく…。

 藤原氏の厳しい指摘に思わず息を飲む読者もいるはずだ。しかしそれでも私たちは老いていく。本書のテーマでもある「どうしたら生きがいのある老後を過ごせるか」を実現するにはどうすればいいのか。

■打算で作った友など役に立たない

 豊かな老後を過ごすためには、孤独を避けなければならない。しかし打算で作った友など役に立たない。誰もが知っているように、友達は自然とできるもの。勝手にいつもそばにいるものだ。打算で作った友達ほどいつの間にか消えていく。

 一方で、ちまたでは孤独を賛美する書籍が数多く出回る。しかしこれも藤原氏に言わせるとアテにならないという。孤独を賛美している人ほど、強靭な精神力を持つ作家や思想家の傾向にあり、世に出回る書籍は彼らが生み出したエッセンスを表面的になぞるだけ。「もうこのまま死ぬまでひとりで過ごすかもしれない」という、老後の途方もない「寂しい孤独」に勝てる人は少ないのだ。

 だからどうするべきか。本書の最後にそれは記されていた。1つは書くことだ。

書くことは、一人でいることが多く他人に言葉を発する機会が少ない人ほど必要な、自己との対話になります。
孤独は書くことで救われる。私はそう考えています。

 そしてもう1つが、「土台の心」を作り上げる「暮らし」を充実させることだ。年を取れば嫌でも自宅で過ごす時間が長くなる。だからこそしっかり家事を行うことで生活の基盤を強くしたい。「暮らし」の充実は、心の充足につながると藤原先生は語る。

どんな哀しみや不幸や孤独が訪れようとも、生きていこうとするかぎり人は、困難を乗りこえていかなくてはならない。新しい一日を始めて、いつものように終わらせなければならないということです。

 どんなに幸福で絶頂な青春・壮年期を送っても、人生のしめくくりが孤独に苛まれるようでは悲しい。どれだけ平均寿命が延びても、寂しい期間が増えるだけならば何のために生きるのだろう。そう自問自答したときこそ、「どうしたら生きがいのある老後を過ごせるか」というスタートラインが見えてくる。

文=いのうえゆきひろ