凶悪犯は「怪物」なのか? すべての人に忍び寄る「人殺しの論理」

社会

2019/3/17

『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』(小野一光/幻冬舎)

 凶悪な殺人事件が報道されるたび、まるで遠い世界の出来事のように思える人は多いだろう。筆者もそうだった。そして、犯人たちをひたすら恐れ、憎んできた。金のために何の恨みもない人間を手にかけられる殺人犯たち。しかも、彼らの一部は犯行時に楽しんでいた形跡さえ残している。筆者は彼らを違う生き物のように断罪し、否定し続けてきた。

 しかし、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』(幻冬舎)を読むと、そんな価値観が揺らいでくる。本書はライターの小野一光氏が5件の殺人事件について、犯人たちと面会を重ねてきた記録である。そして、そのすべてがメディアでも大きく報道された凶悪な内容だ。それにもかかわらず、対話から見えてきた犯人たちの心理は、決して特別ではなかった。

 もちろん、松永太のように逮捕後もなお、凶悪犯の片鱗をのぞかせる男もいる。松永は北九州監禁連続殺人事件の主犯であり、善良な家族を洗脳して殺し合いを行わせていた。だが、彼は「自分が直接手を下したわけではない」という理由で死刑判決を不服としてきた。そして、面会に来た小野氏を懐柔しようと試みる。小野氏に送られてきた手紙を読むだけでも、松永が人心掌握に長けた知能犯なのは明らかだ。凶悪犯の中には、こうした怪物がいるのも事実である。

 しかし、大牟田四人殺人事件の実行犯、北村孝紘はどうだろう? ちなみに、この事件は「一家全員死刑判決」で有名になった。実行時に北村らは、ふざけて被害者にタバコを吸わせるなどの非道も行っていた。ここまでの残虐な殺人を犯した張本人であるにもかかわらず、北村は小野氏にある種の愛嬌を見せる。しかも、死刑が確定している身なのに「彫師になりたい」という夢を語って、デザイン画制作に励んでいた。一方で、事件については「蚊を叩き殺すのと同じ」と冷酷な感想を述べる。若者らしい無邪気さと、暴力の世界の住人らしい非情さ。真逆の性格が、1人の人間の中に同居していたのである。

 近畿連続青酸死事件の犯人、筧千佐子もまた、悲しい人物だ。筧と過去に交際した高齢男性11人は青酸中毒で死亡した。いずれも、筧による財産目当ての犯行と見られている。小野氏が面会に行ったとき、筧は普通の「おばちゃん」という雰囲気だった。男たちを狂わせるようなタイプからは程遠い女性だったのだ。そんな彼女が金に執着するようになったのは、初婚時に本家から冷たくされたことへの反動だったという。そして、孤独な老富豪たちに熱烈なアプローチを行い、最後には財産を奪い去る連続殺人犯が誕生した。なお、筧は小野氏への手紙でもラブレターさながらの文面を綴っている。

 加害者の人間性にスポットをあてる小野氏の方針は、ときに被害者遺族の怒りも買う。そして、小野氏は自分の仕事が抱えている業も自覚している。それでも、小野氏は加害者とその家族の人生から目を離せなくなることがあった。尼崎連続変死事件では、谷本豊さんの娘、瑠衣さんが犯人グループに洗脳されて実行犯となった。逮捕後、瑠衣さんは獄中で自分の罪と向き合いながら償いを続けている。犯人たちによって分断された豊さんとの絆も再生した。

 二度と昔のような生活に戻れない被害者遺族のことを思えば、豊さんと瑠衣さんの物語にさえ嫌悪感を抱く人はいるだろう。ただ、少なくとも筆者は2人がどんな風に親子関係を温めていくのかが気になる。なぜなら、殺人犯とは理解不能な怪物ばかりではないと、本書を通して知ったからだ。自分や、周りの人々だって状況次第では殺人犯になってしまうかもしれない。そうなったとき、我々はまったくの別人に変わるのだろうか? それとも、自分自身のまま罪に手を染めるのだろうか? もしも別人になったとして、かつての自分には戻れるのだろうか? 豊さんと瑠衣さんのこれからは、そんな疑問への答えを長年かけて探す物語なのだ。

文=石塚就一