木材求めて遷都、食糧求めて出兵…歴史を動かしてきたのは人じゃなくて気候だった!?

文芸・カルチャー

2019/3/22

『気候で読む日本史』(田家康/日本経済新聞出版社)

 大化の改新、平城京、平安京、藤原氏、鎌倉、戦国、豊臣、徳川、江戸、尊王攘夷…。

 歴史って土地と権力を巡って争ってばっかり。物理的な欲求よりも知的マウンティングの結果、あるいは「俺のほうがえらい! いや、俺だ!」とやりあってきた結果のようにも見える。

 ところが、どうやら違ったようだ。歴史は、もっと物質的必要に迫られて動いてきたという。『気候で読む日本史』(田家康/日本経済新聞出版社)によると、世界の歴史の動きには、太陽活動や火山噴火による地球規模の気候変動が大きくかかわっているという。そして日本もその例に漏れず、天災の影響で政権が変わったり、資源の枯渇によって生活スタイルが大きく変わったりしてきたというのだ。

 本書は、2013年に発売された『気候で読み解く日本の歴史』が文庫化されてより気軽に手に取れるようになったもの。興味を引く例を一部ご紹介させていただこう。

■帝は木材を求めてお引っ越し…?

 大和朝廷は何度も都の場所を移している。都を移すことを遷都というが、一般的にその理由は、政権内の権力一新を狙ってなどとされてきた。しかし、実はもっと現実的かつ実際的な理由があったという。

 それは、木材資源だ。飛鳥時代から平安時代にかけて、身分ある者の住まいは、竪穴式から、高床式倉庫のような4本の柱で囲まれた空間に板葺き屋根という掘立柱建築に進化していく。

 竪穴式の場合だと、地面を掘り下げて細い木材や草類で覆うだけなので建築資材は少なくて済むのだが、掘立柱建築の場合、地面に太い柱を立てそこから骨組みをひもで結んで組み立てるので、丈夫で太い木材が必要だ。また当時は、礎石を置かずに直接地面に柱を立てていたこともあり、腐食が早くて耐久年数は20年ほど。時間が経てば建て替えの必要もある。とにかく、大量の木を消費するのだ。

 さらに、これに気候の変動が追い打ちをかける。古墳時代には地球規模で寒冷だった気候が、飛鳥時代以降この頃になると温暖になってくる。温暖はいいことかと思いきや、当時の記録には、干ばつで山火事が相次いで起こったことが記されている。

 こういった史実や記録を踏まえると、遷都は、建て替えのための木材資源を求めて森林の近くに移動したのではないかという見方ができるそうだ。当時はまだ古代からの巨木群が山に豊富に生い茂っていた。それらを切り倒し、または山火事の発生でそこがはげ山になってしまったら、次の木材を求めて遷都していたというのだ。ちなみに、平安京以降の遷都がなかったのは、朝廷に金銭的余裕がなくなってしまい、建設費用がまかなえなかったからだという…。

■「食糧を求めていざ出陣!」…で戦国時代へ

 平安時代後期から鎌倉時代にかけて続いた寒冷期が終わり、気候は再び温暖に。農業にとってはいい気候だが、寒冷期に田畑の荒廃によって農地を離れ流民となった人々が、食糧を奪うために村を襲うなどして治安は悪化した。室町幕府も、天候の悪化による不作で立ち上がった農民たちの土一揆から応仁の乱を経て、すっかり統治能力を失い、世は下克上、戦国時代に突入する。上杉謙信、武田信玄ら名高い武将らが登場するわけだが、彼らは、流民となっていた者たちを足軽や雑兵らとして配下に引き入れ、多人数の軍を編成し、天下統一を目指して他国に進軍する。

 しかし、天下取りとは名目に過ぎないケースも多かったようで、実際には食糧不足対策として出兵し、農地や農産物を奪う目的もあったという。記録によると、進軍の時期は天候不順で田畑が不作の時が多かったそうで、足軽たちにとっても稼ぎが入るということで出兵は歓迎されたとか。生きるために食糧を求めて戦っていたという現実も、見えてくる。

 こうやって、学校では習ってこなかった歴史の側面を知ると、そもそも“歴史”とは何なのだろうと思えてくる。教科書に載っているのは、ある限定された見方なのかもしれない。歴史には、もっと単純に「必要に迫られて生き残るため」にあがいてきた人々の影響も大きいかもしれないのだ。何か大きな視点をひとつもらった気がする。

文=奥みんす