「筋肉体操」で大ブレイク! スウェーデン出身庭師・村雨辰剛が語る“僕が庭師になったワケ”

文芸・カルチャー

2019/3/23

『僕は庭師になった』(村雨辰剛/クラーケン)

 ただイケメンなだけでなく、そのルックスと職業とのギャップが大きな話題を呼んだ村雨辰剛さんは、NHKのテレビ番組「みんなで筋肉体操」で一層注目を浴びるようになり、一躍時の人となった現役の庭師だ。そんな村雨さんの半生が収められた『僕は庭師になった』(クラーケン)は、日本人が忘れかけている“古き良き日本”を思い起こさせてくれる1冊だ。

 北欧スウェーデンで生まれ育った村雨さんは、一体なぜ、日本で「庭師」になるという人生を選んだのか。そして、外国人庭師という視点からみて、彼は現代の日本における伝統文化をどう感じているのだろうか。

撮影=尾鷲陽介

■日本庭園のすばらしさを伝承して守っていくのが大きな目標

 村雨さんの母国スウェーデンでは高校の学科が専門的であり、将来の職に大きく影響するので、日本における教育よりも仕事や働き方に対して真剣に向き合う時期が早いという。そのため、中学の後半に差しかかると家族会議が開かれ、将来の話をするのだそう。

 村雨さんは育ての父親が空軍パイロットだったこともあり、軍隊でレンジャー部隊への入隊を目指そうと考えていた。しかし、日本生まれのゲームに衝撃を受けたことや世界史で学んだ“武士道”の美学に惹かれ、日本という国に興味を持つようになっていった。

“グローバリゼーションでどこの国も似たようなかたちになっていく中で、現代の冒険をするなら日本に行くしかない。そんな思いが、日に日に強くなっていった。”

 日本への思いを募らせていった村雨さんは日本語のIME(文字入力をサポートするアプリケーション)をダウンロード。インターネットで日本人と積極的にやりとりをし、日本語を習得していった。

 そして17歳の時、初めて日本にホームステイをし、19歳からは本格的に日本に住み始めるように。当初は英会話教師として働いていたが、国際的にも門戸を開く造園業・山本庭苑との出会いが彼の人生を変えることになった。

 さまざまな紆余曲折を乗り越え庭師という職業にたどり着いた村雨さんは、自身の職業に対して並々ならぬ想いを抱いている。

撮影=尾鷲陽介

“庭師はライフワークとして一生やっていくつもりだが、究極的に言うと自分の収入の軸ではなくてもいいと思っている。伝統文化の業界で一流と呼ばれるような技術を磨いて、日本庭園のすばらしさを伝承して守っていくのが大きな目標で、お金のためにやっているのではないからだ。”

 庭という存在は身近ではあるものの、近年の日本では「庭師」という職業にスポットが当たりにくくなっている。村雨さんが注目された背景にも、少なからずそんな理由があるのかもしれない。しかし、そんな時代だからこそ、私たちは古き日本の良さを再確認していく必要があるのではないだろうか。作中で語られる村雨さんの“日本愛”に触れると、日本人である私たちができること、していかねばならないことは何なのだろうと考えさせられる。

■庭師・村雨辰剛の目に映る日本の姿とは?

 2015年の夏に帰化し、日本人となった村雨さんは、本書を通じて徒弟制度の大切さを訴えかける。近年では機械化により職人の数が減ってきたことや、師匠と弟子という身分制度自体が時代にマッチしなくなってきたため、徒弟制度は衰退してきた。だが、一流の技術を目の前で学び、分からないことがあれば即質問できるという徒弟制度を再評価していくことは、結果的に日本文化を守っていくことにも繋がるのではないかと、村雨さんは考えている。

撮影=尾鷲陽介

 村雨さんいわく、日本の伝統分野は後継者不足に陥っているが、海外からの視点で見るとまだまだビジネスチャンスがあるという。さらに、伝統文化にかかわる仕事は定時勤務であることが多く、時間にゆとりが持てるのもメリットだと語っている。

 私たちは、自国の伝統文化を軽視してしまいがちだ。実際、村雨さんが力を注いでいる日本庭園の魅力を詳しく説明できる日本人は、それほど多くないはずだ。だが、日本庭園の文化は、やはり日本で守っていくことが重要だ。村雨さんの熱い想いに触れると、伝統文化を伝承していくことの大切さを改めて思い知る。

撮影=尾鷲陽介

“伝統文化をこのまま廃れさせてはいけないと思うし、どの国とも似ていない僕の好きな日本を、微力ながら守っていきたいと思っている。”

 日本愛溢れる村雨さんの挑戦は、これからも続く。今後の活躍に注目しながら、私たちも自国の良さを伝えていくために、どんなことができるのかを模索したくなる。

撮影=尾鷲陽介
文=古川諭香