イチローと涙の抱擁。マリナーズの左腕・菊池雄星が公開した、15年間分のノートとは?

スポーツ・科学

更新日:2019/4/4

『メジャーをかなえた 雄星ノート』(菊池雄星/文藝春秋)

 書店には勉強やビジネスの分野を中心に、多種多彩なメモやノート術の本が並んでいる。特にアスリートのノート術は、近年、雑誌の特集にもなるほど注目を集めるコンテンツ。成功、夢をつかむためにトップアスリートが何を考えて日々を過ごし、練習に取り組み、試合や課題に挑んだか、あるいは、そのためにノート……「記録すること」をどう有効活用したのかは、スポーツに以外にも通じる知恵に満ちていると人気である。

『メジャーをかなえた 雄星ノート』(文藝春秋)も、そんな「アスリート・ノート本」のひとつ。先日、MLBデビューを果たしたシアトル・マリナーズの左腕・菊池雄星が書き留めてきたノートの中身が紹介されている。

高校時代のノート(野球日記)の裏表紙。「夏、ボコボコにする」「この男に勝つ !!」と、いかにも10代の少年らしい剥き出しのライバル心が綴られている。カラフルなノートにしているのは、ライバルに負けた悔しさを忘れない、想いの強さを表現しているそう。

「ノート本」だが「ノート術」、すなわちハウ・ツー本ではなく、主に10代だった中学時代から日本で最後のシーズンとなった昨年までに書き留めてきたノートをそのまま公開している。ゆえにメジャーまでたどりついた菊池雄星が、どのように成長してきたか、本人の生々しい感情を知ることができるのも特徴である。ノートうんぬん抜きにしても、ファンとしては楽しめるだろう。

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花巻東高校時代に書いていたノート(野球日記)。本人によると毎日、寝る前に1時間ほどかけて書いていたいという。それを続けたことだけでも精神が鍛えられそうである。

 もちろん、公開されたノートを通じて、何かに取り組む、夢を実現するためにノートをどう活用するかは十分に学べる。年代ごとに順を追って章立てされているので、幅広い年代、キャリアの人が参考にしやすいだろう。また、年齢、キャリアを重ねることによって、取り組むべきことや、意識する点、あるいはノートの記述スタイルそのものがどう変わっていったのか、その変化が読み取れるのも興味深い。

 菊池雄星は、プロ入りから数年、苦しい時代を過ごした。たとえば大谷翔平(エンゼルス)、田中将大(ヤンキース)、ダルビッシュ有(カブス)らと比較した場合、日本のプロ野球で結果を残すのに時間がかかったタイプである。何事も順風満帆に行く人間はごく一部。多くの人はもがき苦しみながら少しずつ前へ進んでいく。ノートを通じて菊池がトンネルを脱出していったステップを知るのは、より多くの人の共感や学びになるはずだ。

プロ入り後に取り組んだメンタルトレーニングの誌面もそのまま掲載。高校の後輩、大谷翔平も取り組んでいたことで知られる目標達成シート「マンダラチャート」も掲載されているが、失敗に学ぶため「絶不調マンダラ」という調子の悪さを言葉にするマンダラチャートもつくった。

 また、技術やトレーニングの目的・効果を、言葉で説明できることを重要視する菊池らしく、ノートにはピッチング、トレーニングへのアプローチが実に明快かつ論理的に書かれている点も多く、それだけでも現役選手の参考になるであろうし、見方を変えれば指導者にもぜひ読んでもらいたい。

最多勝、最優秀防御率のタイトルを獲得した2017年のノート。高校時代に比べると洗練されてきた印象だが、記入すること、意識していることは変わらないものも少なくない。

 それにしても感嘆させられるのは、公開されたノートに書かれた、理想のピッチング、投手像や目指すべき生き方が、10代の頃から変わらない点も多いということだ。いや、年齢やキャリアによって、言葉の質や意識の高さなどは変わってくるのだが、ベースというか芯になるものには共通項が多い。だからノートの中には同じような言葉、記述が出てくることもある。それは、言い方を変えると「また似たようなことが書いてあるな」という印象を受けるかもしれない。

 だが、思い出してほしい。菊池がMLBデビューを果たしたゲームをもって現役を引退したあのイチローは、引退記者会見で「少しずつの積み重ねでしか自分を超えていけない」「(高みへ行くには)地道に進むしかない。進むだけではない。後退もしながら。自分がやると決めたことをやっていく」と語った。かつては「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道」という言葉も残している。つまりは、菊池のノートに繰り返し出てくる言葉、記述も、それを表しているのではないか、と思うのだ。

 何度も出てくるということは、菊池が長い時間、諦めずに目指したこと、コツコツ取り組んだことという証し。第三者の手が入ったノンフィクションやインタビューではなく、本人自ら書いたノートを読むことの醍醐味ともいえよう。だからもし、「また似たようなことが書いてあるな」と感じたら、それこそが菊池雄星を夢に導いた理由、大切にしてきたポイントではないか、という視点で着目してみてはどうだろう。

文=田澤健一郎