「俺が犯人だ」―新聞の紙面で展開する連続殺人犯とメディアの論戦にどんな決着がつくのか?

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2019/3/31

『だから殺せなかった』(一本木 透/東京創元社)

“おれは歴史に残る凶悪犯だ。まずは発言の場所を担保したい。おれの「殺人哲学」を語り、言葉を歴史に刻印したい。”

 第27回鮎川哲也賞優秀賞受賞作『だから殺せなかった』(一本木 透/東京創元社)は、連続殺人犯が大手新聞に手紙を送り、犯行内容を語るという衝撃的な推理サスペンスである。もちろん、アガサ・クリスティー『ABC殺人事件』(早川書房)をはじめとして、凶悪犯が捜査陣やマスコミに挑戦を仕掛けてくる筋書き自体はミステリーの定番だ。本書は、犯人が新聞記者に対して論戦を挑んでくる展開が斬新である。そして、読者は「悪」の定義について考えさせられるのだ。

「太陽新聞」のベテラン記者・一本木透は執筆した記事が反響を呼んでいた。一本木はかつて、愛した女性の父親が犯した汚職事件をスクープしたことがある。その際に経験した壮絶なエピソードを「記者の慟哭」として発表したのだ。やがて、一本木の記事は凶悪犯の目にも留まってしまう。新聞社に届いた一本木への私信には、差出人「ワクチン」とあった。世間を騒がせていた連続殺人犯の自称である。

 すでに3人もの人間を殺していたワクチンは、犯人の証拠として現場の様子を詳細に述べる。一本木たち社会部は、彼が間違いなく犯人その人だと確信した。一本木の記事に興味を持ったワクチンは、紙上での討論を要求する。もしも一本木がワクチンを改心させることに成功したならば、連続殺人を止めてもいいとの条件付きだ。不謹慎ながらも「特ダネ」に色めき立つ社会部。さまざまな葛藤を超越し、一本木は挑戦を受ける形でワクチンへの反論を掲載する。

 ワクチンは人間を「ウイルス」と捉えており、自分は退治をしているのだという。殺害対象に恨みはなく、たまたま目に入った不快な人物を狙っただけだとも。いわゆる「無差別殺人」である。あまりにも身勝手な論理に一本木は怒りを隠せない。かくして、一本木は真っ向からワクチンを否定した。ところが、ワクチンからの返事は一本木を嘲笑う内容だった。

“人間のウイルス性は、すでにお前たちも目にしている。三人の犠牲者が報道されてから、世間のヤツラは何をした?”

 実際、ネット掲示板やSNSではワクチンの犯行を肯定している者がたくさんいた。被害者の抱えていた問題も知られてしまったからである。また、ワクチンは殺害当時の状況を引き合いに出し、世間の残酷さを説いていく。死体に群がって動画撮影をしたり、電車に乗り遅れたくない一心で無視をしたり、そんな人間たちが悪ではなくて何なのだろう? それに、ワクチンを利用して発行部数を回復しようとしている太陽新聞も正義といえるのか? ワクチンの文章は、人々の偽善を見事に言い当てていた。

 一本木たちは必死になってワクチンを説き伏せようとする。専門家の主張を掲載したり、世間の声を集めたり、あらゆる手を尽くすものの、いずれもワクチンの心には届かない。そして、ワクチンはついに、4度目の殺人に及ぶことを予告するのだった。

 当初、読者はワクチンを異常で残忍な知能犯と感じ、恐怖と反感を抱くだろう。しかし、被害者たちの素性が判明していくにつれ「人間はウイルス」という考え方が説得力を帯びていく。徐々に、ワクチンの言葉を否定する術がなくなっていくのだ。ワクチンは「おれは、お前の後ろにいるぞ」と読者に呼びかける。自分は正しく、善良だと信じている人でさえ誰に恨みを買っているかなどわからない。ワクチンと一本木の問答に、読者も自分の人生を振り返らずにはいられない。

 本書は終盤、急展開を見せて意外な真相が明らかになる。文章力、構成ともに新人とは思えない完成度だ。あなたもワクチンの挑戦を受けるなら、彼の言葉を一言一句見逃さないでおこう。

文=石塚就一