血を死ぬまで抜き取り、夜泣きの子どもにアヘンを与え、卵巣を強制切除…『世にも危険な医療の世界史』

社会

2019/4/29

『世にも危険な医療の世界史』(リディア・ケイン、ネイト・ピーダーセン:著、福井久美子:訳/文藝春秋)

 生に対する執着は人間の最も根源的な、恐れにも似た欲求だ。ときにフィクションの世界で「どんな卑怯な手を使ってでも生き延びたい」という愚かな悪役キャラクターが描かれる。その浅ましき姿に「なんと醜い」という感想を抱く私たちだが、残念ながら彼らを笑えぬ医療の歴史が『世にも危険な医療の世界史』(リディア・ケイン、ネイト・ピーダーセン:著、福井久美子:訳/文藝春秋)に記されている。

 現代のような標準医療が定まらない時代では、非常識すぎる治療が平然と考案された。そして明日を生きるために、ありがたくそれを受ける歴史が人類にあった。本書に記された「最悪の治療法」とその結果に、どのページをめくっても悪寒が走る。顔をそむけたくなるような、おぞましい人類の歴史を読者に少しだけご紹介したい。

■天才作曲家・モーツァルトの悲惨な最期

 天才作曲家として有名なモーツァルト。彼の偉大な功績の陰に隠された、悲惨な最期を知る人は少ない。35歳の頃、モーツァルトは病を患う。体重減少、貧血、頭痛、失神などの症状がやがて悪化し、激しい嘔吐発作、下痢、関節炎、手足のむくみなどに悩まされ、作曲活動ができなくなった。

 そこで当時の医師たちがモーツァルトを救おうと懸命に治療するために行ったのが、瀉血(しゃけつ)だ。これは血液を採取して“除去”する治療なのだが、なんとモーツァルトは瀉血によって、1週間で2Lも血を抜き取られてしまう。

 彼の義理の妹ゾフィー・ハイベルはこのときのことを「医師が瀉血を行うと、義兄は見るからに力尽きて気を失い、その後意識を取り戻すことはありませんでした」と語っている。医師はモーツァルトを助けるどころか、寿命を縮めたのだった。

 瀉血は昔から世界中の医師が行い、多くの犠牲者を出してきた。「病人は体内のバランスが崩れているから血を排出して浄化する必要がある」とか、「血が多すぎると問題が起きる」とか、もっともらしい理論を唱えて、多くの医師がこの殺人的な治療を好んだ。なかには「大量出血にも瀉血がいい」と宣言した医師もいたという。それはもはや殺人だ。

 なによりも恐ろしいのは、この治療が約200年ちょっと前まで一般的だったことだ。誰だって本書を読むと、驚きのあまり血の気が引いて顔面蒼白になるに違いない。

■アヘン入りシロップを飲ませて子どもの夜泣きを鎮める昔の常識

 とても残念なことにモーツァルトの逸話はほんの序の口だ。

 小さい子どもを育てる親御さんならば、夜な夜な起こされる「夜泣き」に苦労されているに違いない。もし時代が100年前で外国に住んでいたら、ぐずる子どもに「ミセス・ウィンズローの鎮静シロップ」を与えただろう。いや「ゴドフリーの甘味飲料」派だろうか。とにかくこのシロップは夜泣きによく効く。なぜならアヘンが入っているからだ。

「なんてひどい話だ!」と憤る読者の顔が思い浮かぶ。しかし恐ろしいことに、騒々しい子どもをドラッグで静かにさせる方法は数千年前からごく当たり前に行われてきた。古代ギリシアの医者・ヒポクラテスは、ケシの危険性を認識したうえで、睡眠導入剤、止血、痛み止め、婦人病にごく少量使うよう勧めている。現代医療の基礎を築いたとされるウィリアム・オスラー卿は、モルヒネを「神が服用する薬」と称えた。少し前までドラッグは誰もが服用する一般的な薬だったのだ。

 本書ではドラッグの効用が神のようにもてはやされ、そののち危険性が判明し、現在の「危険薬物」としての地位に成り下がるまでの軌跡をひもといている。この部分を読んで感じるのは、先人たちの犠牲があって現代の私たちが平和に暮らせる、ということだ。まざまざと痛感する。決してドラッグの歴史をバカにできない。

■かつて女性に行われたトンデモ医療「クリトリスは悪だ!」

 最後にもう1つだけご紹介したい。かつて女性に行われたトンデモ医療だ。

 人類の歴史では、女性をどう治療するか決めるのは、ほぼ男性だった。女性は生物学的に男性より劣るとみなされてきたからだ。哲学者・アリストテレスは「女性とは、不完全に作られた男性のことだ」という偉大すぎる名言を遺している。彼にトンデモない敬意を送りたい。

 さて肝心のトンデモ治療の内容だが、これは紹介するのも心苦しい。たとえば女性のヒステリーの治療の一環として、19世紀から卵巣を切除する手術が行われ始めた。ときには同意なしで強制的に。さらにロンドンに住む産婦人科医は「女性を性的に興奮させるものは悪だ!」と決めつけ、クリトリスを切除する手術を推奨したばかりか、自分の妹の卵巣も率先して切り取った。

 さらに大昔には、女性器の近くににんにくを擦り込み、息が臭くなれば「通りが良くて妊娠しやすい女性」というトンデモ不妊検査があった。また「オスのイタチから生きたまま睾丸を抜き取り、その睾丸を女性の胸のあたりにガチョウの皮で巻きつける」という避妊方法もあったらしい。…たしかに男の性欲が減退することは間違いない。うん、間違ってない。

 本書を読むと、私たちの頭の中にある「常識」がどれほどありがたいものか、顔を歪めながら感じるだろう。ときたま「常識を打ち破れ!」というキャッチコピーを目にするが、まず「打ち破れる常識を手に入れた幸せ」を噛みしめる方が先ではないか。

■生まれた時代が違えば私たちも同じ医療を体験させられた

 科学技術が劇的に発達し、本書に記された恐ろしきトライ&エラーの積み重ねによって、治せぬ病気が少しずつ数を減らす現代。先人たちの飽くなき挑戦と生への執着に、私たちは心から感謝をしなければならない。生まれた時代が違えば私たちも同じ医療を体験させられたはずだからだ。

 一方で、これだけ医療が進歩した現代においてもバカげた治療は後を絶たない。「この水を飲めばガンが治ります!」に代表されるエセ医療はいつの時代も姿を見せ、「世にも危険な医療の世界史」の新たな1ページとして更新を続ける。人類は歴史から学ばず、同じ過ちを繰り返す生き物なのだろうか。

 とにかく、この記事でご紹介した内容はほんの一部にすぎない。ヒトラーが猛毒ストリキニーネでできた整腸剤を数年間服用し危うく死にかけ、リンカーンが水銀入りの頭痛薬を飲んで重金属中毒になり、エジソンはコカインでハイになりながら徹夜で実験を重ねた歴史が、本書にある。どの内容もおぞましく、読めば読むほど先人に対する感謝が深まり、目の前の平和な日常が愛おしくなる。本書はどの歴史書籍にも勝るとも劣らぬ、考えさせられる1冊だ。

文=いのうえゆきひろ