日本を代表する作品の裏話が満載! 手塚治虫のアシスタントたちが、当時の食事事情を語る。

文芸・カルチャー

2019/5/20

『手塚治虫アシスタントの食卓』(堀田あきお&かよ/ぶんか社)

 漫画の神様とも称される手塚治虫先生は仕事中に突然、「チョコを食べたい」とか季節外れの「スイカを食べたい」と言いだし、アシスタントたちを困らせたというエピソードが伝えられている。では、アシスタントたちの食事事情はどうだったのかを、当時の思い出とともに描いている漫画作品が、この『手塚治虫アシスタントの食卓』(堀田あきお&かよ/ぶんか社)だ。

 70年代の終わり頃に手塚プロダクションが募集したアシスタントの採用枠は5人で、本書の作者の一人である堀田あきお氏は250人の応募者の中から見事に合格。他の4人が子どもの頃から漫画家を目指してきたのに対し、堀田氏は丸ペンもスクリーントーンも知らずに、生まれて初めて描いた漫画作品で応募したというから驚き。

 手塚先生は昼も夜もなく仕事をしているため、堀田氏が所属する漫画部のアシスタントは何人かチーフから指名され、夜中も待機していたという。そんな夜勤での楽しみが夜食で、仕事場のあったビルの地下の小料理屋を訪れ、なんでも好きな物を注文して良かったそう。もちろん全て、会社持ちである。これは「アシスタントにはちゃんと食べさせてやってほしい」という手塚先生の意向であり、翌朝の朝食は同ビルの1階にある喫茶店から出前を取っていた。ただし堀田氏によれば、夜勤明けに食べるミックスサンドの味も格別だったが、運んできてくれる美人姉妹の胸元が「何よりの楽しみだった」とか。

 当時のアシスタントが恵まれていたのは食事だけではない。「どんどんオリジナル作品を描いて早く独立しなさい」という手塚先生の方針により、手が空いた時には就業時間内でも会社の画材を使ってオリジナルの作品を描くのを許されていた。そのうえ、手塚先生の原稿を待っている複数の漫画雑誌の編集者が常駐しており、すぐに作品を見てもらえるものだから、堀田氏は「ここは天国か!」と思ったそう。同時期に入社した1人などは、「絵が上手すぎて手塚漫画に合わない」という理由で入社試験に一度不合格になったという腕前で、編集者たちがこぞって「完成したらうちに持っておいでよ」と彼の作品を狙っていたなんて話も。

 あるとき、手塚先生が旅行カバンに道具一式と大量のチョコレートを詰めてアメリカへ渡り、アシスタントたちには時間ができた。そこで同期5人衆のうちの1人が自分の作品に取り組むのだが、作品応募の締め切りに間に合いそうになく困っていると、堀田氏たちが手伝ってなんとか完成させた。そして、手伝ってもらったお礼に皆にごはんをおごると言われるものの、懐事情が厳しいのは皆も同じ。結局5人で入った店では、かけそばを注文する。それでもエビ天を1本だけ追加で注文し、ハサミで5等分して天ぷらそばにしたという。彼らはライバルであるのと同時に、「手塚先生の元に集まった大切な仲間であり同志でもあるのだ」との言葉が添えられていた。

 会社での食事がいかに豊かであるかも分かる、このエピソード。しかし実は、アニメ部や漫画を手伝いに来るOBは夕食代も会社から出してもらっているのだ。手伝いに駆り出されるOBはともかくとして、漫画部の稼ぎで赤字を補填しているアニメ部が優遇されているのはおかしいと堀田氏たちは社長室に乗り込み、一人600円までの夕食代を勝ち取った。さっそく洋食レストランに赴き、その600円に自前で上乗せして、「ハンバーグとエビフライの黄金コンビ」と堀田氏が呼ぶ800円のB定食を食べる様子が、なんとも心をくすぐられるとともにお腹が空いてくる。

 ちなみにOBには一人強烈な人物がいて、夕食代は会社持ちだからと会社に来るやいなや「うな重の特上」それも「うなぎ三段重ね」を注文していた。しかもその日の夜勤は、手塚先生の原稿が一枚も進まず、彼は朝ごはんも食べて悠々と帰っていったのであった。私も売れたら、うなぎ三段重ねを食べてみたい。胸やけしそうだが。

文=清水銀嶺