大富豪御曹司が「喰われて」亡くなった! 衝撃タブーに迫る未解決事件の真相

社会

公開日:2019/5/23

『人喰い』(カール・ホフマン:著、奥野克巳:監修、古屋美登里:訳/亜紀書房)

 人が人を食べるという行為「カニバリズム」は、あってはならない行為、タブーとされる。しかし、かつては一部の部族で行われていた。だが、20世紀以降どんなに少数の部族でもどこかしらの政府管轄下にあるため、こういった行為は禁止されている。

 ところが、である。『人喰い』(カール・ホフマン:著、奥野克巳:監修、古屋美登里:訳/亜紀書房)によると、20世紀半ばにオランダ領ニューギニアでカニバリズムが行われたという。部族における儀式を強行したというのなら理解できないこともないが、そうではない。彼らにとってはよそ者であるアメリカ人を殺して食べたのだ。

■大富豪ロックフェラー家の御曹司が行方不明に。その真相は?

 1961年、大富豪ロックフェラー家の御曹司がオランダ領ニューギニア(現在はインドネシアとなっている)で行方不明になった。当時23歳だったマイケル・ロックフェラーはボートの転覆により死亡と発表されたが、遺体は現在に至るまで発見されていない。ここまで読んで察しのいい方は予測がついただろう。そう、本書は、マイケルの死因は海難事故ではなく、現地の部族に食べられたというのだ。

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 著者カール・ホフマンは『ナショナル・ジオグラフィック・トラベラー』の編集者で、ジャーナリストでもある。マイケル失踪事件に惹かれた彼は、当時のオランダ政府の文書を探し出し、さらに現地の部族と生活を共にして事件の真相に迫っていく。

 本書に従い、当時の状況をおおまかに追っていこう。マイケルはプリミティヴアートと呼ばれる美術品を求めて、ニューギニアにやってきた。プリミティヴアートとは、未開の地の人々が生活上の必要から作る武器や器を、芸術品として扱うものだ。当時のニューヨーク上流階級では最先端をいく流行だったという。

 事件の舞台となった熱帯のニューギニア、それも沼地であるアスマットは陸路よりも海路で向かう方が早い。海洋を小型ボートで進んでいたマイケルだったがボートが転覆し、漂流していたものの助けとなる船は一切通らない。彼は思う、陸地までは16キロほど。遠泳に自信はあり海水は温かい。10時間泳げば陸地に辿り着けるかもしれない…。そして飛び込んだ。

 体力の限界だったがとうとうやり遂げ、アスマットの泥地に足が着いた(公式発表では、ここまで辿り着けずに溺死したとなっている)。泥地の浅瀬まできたところで、現地人のカヌーが迎えにきた。「助かった…!」

 …しかし、違った。現地の部族の人々は、マイケルを殺すつもりでカヌーを近づけたのだ。ひとりが彼の白い肌の下に隠れる肋骨めがけて槍を深く突き刺す。悲鳴を上げた血まみれの彼をカヌーに引き上げ、岸辺に運んで首の後ろに斧を振り下ろす――。

■人喰いを行った理由と背景を追うと――

 その後、彼らは慣れた手付きでマイケルの体にナイフを入れ解体。肉を喰らい、血を自らの体になすりつけ、頭部は丸焼きに。脳髄は年長者が食べた。

 これは、外部からの人間を恐れて殺したという単純な話ではない。アスマットの人々は、オランダ政府や宣教師といった人々を既に知っていた。先祖から受け継いできた人を喰らうという行為が、外の者には許されざるものであることも。しかし、彼らにとってはマイケルを殺す「理由」があったのだ。

 アスマットでは、殺された者の霊は、殺すという等価な復讐をもってしなければ、あの世に行くことができないとされている。それが自然のことわりであり、彼らの世界観なのだ。

 マイケルにとって非常に不運だったのは、彼のやってくる数年前に、オランダ人がアスマットの人間を銃で撃ち殺すという事件があったことだ。彼らは、殺された者の霊はまだこの世に留まっていると考えた。よそ者の血が必要だ、それも白人の血が。

 そこに海を泳いでくる弱った白人がいる。伝統にのっとって彼を殺し、その生命力を自分たちに取り込み(彼らにとって、食人が重要な意味をもつ理由はここにあるという)、焼いた頭部を捧げ、殺された仲間の霊を慰めた。

■カニバリズムの風習は今もどこかで続いている…?

 ロックフェラー家はメディアを通じてマイケルの死因を溺死と発表し、御曹司行方不明騒動は終わった。現在でも遺族が本書の内容を認めることはないだろう。そこには当時そのアスマットを領土としていたオランダの外政問題もからんでいる。詳細はぜひ本書を通じてあなたの目で確かめてみてほしい。今でもアスマットの地では当時とほぼ変わらぬ生活様式だが、人喰いは行っていない。しかし、その方法は子々孫々に語り継がれているようだ…。

 タブー行為は、その背景によって必ずしも全人類共通だとは限らない。世界の捉え方はひとつではないのだ。カニバリズムの不幸な事件を知り、私たちは恐怖を覚える一方で、常識から暫し離れることの魅力を感じるのだ。

文=奥みんす