おそ松さんやワンピースは哲学だった!人生に響くメッセージを読み取ろう

文芸・カルチャー

公開日:2019/6/3

『自分と向き合い成長する アニメと哲学』(小川仁志/かんき出版)

 少し前までアニメといえば「子どもの見るもの」「オタク向けの文化」と揶揄されていた時代もあった。しかし、今はどうだろう? 特にオタク趣味がない大人たちでも『ワンピース』やジブリアニメを見るために映画館で列を作っている。優れたアニメとは消費文化ではない。見る人の心に大切なメッセージを刻みつける「作品」なのだ。

 そして、ここでいうメッセージは「哲学」と言い換えてもいいだろう。『自分と向き合い成長する アニメと哲学』(小川仁志/かんき出版)は大学で哲学を教える著者による、アニメから人生を学ぶ方法についての本だ。紹介されているタイトルは、いずれも超有名なものばかり。何気なくテレビから流れてくるアニメに隠された哲学を、本書と一緒に読み解いてみよう。

 そもそも、なぜ哲学を語るのにアニメを選んだのだろう? 著者は理由をこう説明する。

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実は、アニメのモチーフは意識のあり方にあるからだ。多くのアニメは、子どもたちがどう生きるべきか、その指針となるようにつくられている。(中略)そこで、そうした誰もが知っているアニメを共通の題材にして、意識なるものを客観的に見てみようというわけである。

 そして、実際に著者はアニメ作品における登場人物の意識を解析していく。『おそ松さん』で著者は、主人公である六つ子たちが「意識を否定している」と考える。六つ子たちはニートであるにもかかわらず、まるで焦燥感がない。それどころか、「意識高い系」を茶化すようなエピソードまである。こうした六つ子たちの態度を明らかにするため、著者はニーチェを参照する。

 ニーチェは世の中の出来事は人の意識と無関係だと説いた。要するに、どんなに意識を高く持ったところでなるようにしかならない。それなら、世の中の苦しみに抗うより、受け入れて明るく暮らすほうがいい。ニーチェによれば、こうした思想は「貴族的評価様式」にあてはまるという。ダラダラと過ごすニートの六つ子が「貴族」というのも面白いが、事実として彼らはいつでも楽しそうだ。「勝ち組・負け組」という判断基準で評価される現代社会において、超然とした六つ子たちの姿が人々の憧れになったのだろう。

 また、『ワンピース』について分析した章では、意識を外に向ける大切さを考える。主人公ルフィの「海賊王になる」という途方もない夢は、普通の人間では真面目に捉えられない内容だ。しかし、『ワンピース』は世界中で単行本が刊行されるメガヒット作品となった。ルフィの夢が途方もないからこそ、人々を惹きつけたのである。

 著者はイギリスの哲学者・ラッセルと『ワンピース』を重ね合わせる。ラッセルは著作『幸福論』において、幸福のあり方を追求した。そして、ラッセルは精神を外に向ければ幸せになれるのだと結論を下す。ルフィが航海を求めたように、我々も自分の世界から一歩外に踏み出さなければ現状を変えることなどできない。

 国民的ご長寿アニメにも、哲学は潜む。『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』の何気ない日常は、地域社会や家族の理想形を表している。『ドラえもん』では、誰もが劣等生ののび太を否定するのに、ドラえもんだけはいつも彼を受け入れてくれる。ドラえもんは絶対精神のメタファーであり、人間が到達できないと思いながらも目指すべき領域なのだ。個人や家族の理想を描いた作品が何十年間もお茶の間で放映されている事実は、日本人の人格形成にも大きく影響しているといえるだろう。

 本書は「自己啓発書である」と著者は説く。そして、自己啓発とは、お金や時間をかけなくても意識の持ち方次第で実践できる。わかりやすさが売りだと思っていたアニメ作品に対しても、深く見ようとするだけで人生の糧を得られるだろう。

文=石塚就一