自動運転車が人を轢いた…裏で操っているのはAIか? 人間か?

文芸・カルチャー

2019/6/10

『人工知能』(幸田真音/PHP研究所)

 これからは日本でも、人間の知的ふるまいをソフトウェアで人工的に再現したAI(人工知能)が活躍していくといわれている。巷にはAIをテーマにした書籍が数多く溢れている。最近では、「女子高生AI」としてLINEで話題を集めている“りんな”が歌手としてメジャーデビューを果たすなど、AIの力は私たちの想像を超えるところにまで及んでいるようだ。

 AIは私たちにさまざまな驚きを与えてくれ、生活を楽にもしてくれる便利な存在だ。しかし、利便性が高いからこそ、私たちはAIをどう活かし、向き合っていくのかを考えていく必要がある。『人工知能』(幸田真音/PHP研究所)は、現代を生きる全ての人に「もしも、実際にこんなことが起きたらどうしよう…」と考えさせる、未来予測型エンターテイメントだ。

■自動運転車の引き起こした事故のウラにあったのは――

 物語の主人公・新谷凱は小さな頃からメカに興味を持っており、携帯会社でのアルバイト経験を機に、IT分野の進化に胸を躍らせるようになった。そんな彼が夢中になったのが、大学で学んだ「プログラミング序論」。講義を受けるうちに、プログラミング言語に強く惹かれるようになった凱はいつしか、人工知能に魅了され始める。

“プログラムをかくことで、自分の意のままにコンピューターを動かせる。そんなことができたらどんなことでも可能になる。”

 そう考えた凱はプログラミング技術を活かし、一流企業である株式会社エッジへ入社。しかし、会社の経営不振によって変わってしまった企業方針に絶望し、退職する。その後、大学の恩師・外池が立ち上げたベンチャー会社で優秀な同僚に囲まれながら、仕事に打ち込んでいた。

 そんなある日、外池から人工知能が搭載された自動運転の試乗車が、経産省の役人だけを選び撥ねたという話を耳にする。興味を持った凱は、外池と共に事件の真相を探ることに。すると、そこにはグレーゾーンにある法律問題や技術者の苦しみなど、AI業界の“闇”が隠されていた。そして、事態は「人工知能VS人工知能」という、高次元な対決にまで発展していく――。

 衝突回避機能が強化されていたにもかかわらず、特定の人物のみを撥ねた自動運転の試乗車。一見、事故のようにも見えるが、そこには人の、あるいは人工知能の、どういった思惑が込められていたのだろうか。

■人工知能を扱う「人」の資質が問われる

 人工知能やテクノロジーを題材にした本作は、ちょっと堅苦しい作品のように思えてしまうかもしれない。しかし、ページを開いてみると、そこには凱というひとりの青年の人生やその苦闘が詰まっており、読み手は彼の生き方や信念に心が揺さぶられるだろう。

 決して裕福だとはいえない家で生まれ育った凱は、逆境に立たされたり、周囲から心無い声を受けたりする。だが、持ち前の反骨精神で人生を立て直していくたくましい姿には、人を励ます力もある。凱の人生を通して、昨今のデジタル社会の進歩や人工知能の知識を知ると、人工知能は毒にも薬にもなりえるものなのだということに気づかされるだろう。

 数十年前までは「ファービー」や「AIBO」といった、人間を笑顔にしてくれるロボットが話題を集めていたものだ。それなのに、いつしか私たちの周りには娯楽目的ではなく、効率性重視で人間が楽になれるロボットやデジタル機器が溢れるようになった。今や誰もが持っているスマートフォンもそのひとつかもしれない。画面に触れるだけで欲しい情報が手に入り、好きなゲームもいつだってできる。

 だが、私たちはそうした便利な道具に気づかないうちにコントロールされ、支配されているような気がしてならない。LINEの既読スルーで壊れる人間関係は、そのひとつ。いつの間に私たちは機械をコントロールする側から、機械にコントロールされる側になってしまった。

 だからこそ、今後、ますます需要が高まっていくであろうAIとは慎重に向き合っていかねばならない。人工知能は神ではなく人間が生み出しているため、万能であるとは言いがたい。ただ科学技術にすべてをゆだねるのでなく、人間がデジタル機器を正しくコントロールしていく必要がある。

“人工知能は、人間が教えた通りにしか動かない。逆に言えば、その人間が正しい目的のもとに、明確で適切な教え方をしないと、正しい仕事はしないんだ。”

 AIは扱う人の資質が問われる道具。作中のこの言葉は、数十年後の私たちの心にどう響くのだろうか。

文=古川諭香