その死体は誰のもの? 令和時代に日本人の死生観を問い直す

社会

公開日:2019/6/18

『死体は誰のものか ――比較文化史の視点から(ちくま新書)』(上田信/筑摩書房)

 男女ともに平均寿命が80歳を超え、「人生100年時代」がやってくるともいわれる。人は世に誕生すれば、いつかは去る。高齢者が増えれば、遠くない時代に、多死社会が到来する。

 来るべき多死社会では死体にどう向き合うべきなのか。『死体は誰のものか ――比較文化史の視点から(ちくま新書)』(上田信/筑摩書房)はそれを問い、考察している。

 時代は新しく令和になり、価値観の多様化はますます進むと見られる。死に対しても同様だ。ところで、本書によると、観念としての「死」を取り上げる本は多いが、意外にも「死体」について語る本は少ない。ドラマや映画、マンガやアニメなど創作物では“本物ではない死体”がこれでもかとばかりに登場するにもかかわらず、だ。

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 たとえば、死体は誰のものなのか。そして、そもそも「物」として認識してよいのだろうか。本書は中国、チベット、ユダヤ・キリスト教、日本の死生観を、多種多様なエピソードや例とともに比較分析し、多死社会での死体との向き合い方について一石投じている。

 本書の叙述の範囲は広い。そのため、本稿では「死体は物なのか」にフォーカスし、内容の一部を紹介したい。

死体を「物」とみなしてよい?

 そもそも死体は「物」なのか。日本では、死体をめぐって法的な議論が重ねられてきた。本書によると、その議論は3つの段階に区切ることができる。

●第一期:明治から昭和20年までの時期

…主に家制度や家督などと関連づけて論じられる。

●第二期:1947年〜1979年頃

…家制度の廃止と、民法の親族・相続に関する部分が抜本的に改正され、これ以降、「基本的人権」の観念に基づいて議論されるようになる。

●第三期:1979年以降

…1979年12月18日「角膜及び腎臓の移植に関する法律」公布。死体からの移植が可能になり、死体そのものが価値を帯びることになる。

 本書によると、日本では大方、死体は物としてみなされていた。第一期の時代では、死体は家督相続人が相続することとなっていたのである。これが第二期になると、日本国憲法の制定で基本的人権が尊重されることとなり、死体は物ではないという意見が主流になる。人の身体を物だとすると、人権を剥奪された奴隷を認めることにつながりかねないからだ。とはいえ、死体は処理しなければならない。生前には物ではなかった身体から変じた死体は、相続人に帰属する物とはならず、親族法に基づいて喪主が埋葬する権利と義務を負うことに。やがて第三期になると、それまで埋葬・祭祀の対象でしかなかった死体は、新しく臓器という価値をもつ。

 このように、日本だけを見ても、日本人が死体に対してもつイメージは歴史を通して普遍的なわけではない。今後も揺れると推測できる。また、世界を見ると、死体に対するさまざまな観念や扱い方がある。グローバル化が進むと、これまでに日本ではありえなかった考え方が誕生しても不思議ではない。

一人ひとりの考え方や捉え方が、死体の取扱いを決めていく。他人事ではない。本書で知見を広めてみてほしい。

文=ルートつつみ