ニュースやSNSを見て「みじめな行為」と指摘する人こそ愚か者!?  人間が自ら不幸を招くワケ

暮らし

2019/6/26

『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎/太田出版)

『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎/太田出版)の内容は、かなり鋭い。鋭利すぎて誰かの心を突き刺してしまうかもしれない。

 少し時代が古いが、たとえばある人が暇を持て余して、ウサギ狩りに行こうと決めたとき。狩りの道具を買い込み、動きやすい服装を用意して、数日前からばっちり体調を整え、いざ意気揚々とウサギの潜む山へ出かけた。

 ところがその道中で友人にばったりと出会った。友人はその人がウサギ狩りに行くことを察し、親切心から手に持ったものを差し出す。

「ウサギ狩りに行くのかい? それならこれをやるよ」

 手元を見ると、たった今狩られたばかりのウサギがいた。ウサギ狩りを興じる前に、労せずともウサギが手に入ったのだった。

 ここで考えてみたい。その人はいったいどんな反応をするだろう? お目当てのウサギが手に入ったというのに、拍子抜けして間の抜けた顔をするに違いない。つまり暇を持て余してウサギ狩りに行く人は、ウサギが欲しいわけではないのだ。

 本書は「暇と退屈」という切り口から、人間の本質を鋭くえぐりだす哲学の書だ。骨太な内容のほんの一部だけ、その雰囲気をもう少しだけご紹介したい。

■退屈こそ人間の不幸の原因であり、みじめな運命が待っている

 本書では何人もの哲学者を紹介し、彼らが突き詰めた思想と共に、人間の「暇と退屈」の本質に迫っている。この記事でご紹介したいのは、「考える葦」で有名なパスカルだ。「考える葦」の詳細は本書に譲るとして、著者の國分功一郎さんによると彼は相当な皮肉屋だったという。

人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。

 生きるための十分な仕事や資産を持っている人は、それで満足していればいい。しかし“愚かなる人間”は、それに満足して部屋でゆっくりできず、わざわざ社交に出てストレスをため、なかには刺激を求めてドラッグや危ない行為を犯す。

 そのすべての根源は退屈だ。退屈こそ人間の不幸の原因であり、自ら不幸を招く人間には「みじめ(ミゼール)」な運命が待っている。これがパスカルの考えだ。

 冒頭のウサギ狩りも同様で、獲物が欲しいのではなく退屈から逃れて気晴らしをしたいから、一日中ずっと野を駆け回ろうとする。しかし退屈を嫌えば嫌うほど、人間に待っているのは不幸でみじめな運命なのだ。

■みじめな人間は自ら苦しみを追い求める

 さらにパスカルの皮肉な哲学は続く。彼の考える「愚かな気晴らし」において重要なのは、熱中できるかどうかだ。熱中できなければ退屈から逃れられない。

 問題は、どのようなことに人間が熱中できるか。易々と獲物が手に入るウサギ狩りはどうだろう。お金が手に入らない(賭け事にならない)パチンコに行列はできるだろうか。読者の感情を喜怒哀楽へ導かない小説は売れるだろうか。

 つまり「愚かな気晴らし」であるためには、「なかなかウサギが手に入らない」「お金を失う危険がある」「主人公が苦痛を乗りこえて未来をつかむ」というように、必ず「負の要素」がなければならない。

 この負の要素は、体や心の負荷であり、広い意味では「苦しみ」と言い換えられる。私たちは毎日の生活がより便利で快適になるために仕事を頑張り、科学に貢献し、社会をよりよいものに変えてきた。

 しかし退屈をすると、人間はわざわざ負荷や苦しみを求めるのだ。本書の一文を抜粋したい。

つまり、パスカルのいうみじめな人間、部屋でじっとしていられず、退屈に耐えられず、気晴らしを求めてしまう人間とは、苦しみをもとめる人間のことに他ならない。

■「それはみじめな行為だ」と指摘する人こそ最も愚かな人

 本書を読むと、テレビで流れるニュースを見て、SNSで炎上する人々を見て、退屈という人間の病を、その猛威を感じずにはいられない。人間は退屈をかき消すために苦しみを求めるみじめな生き物だ。そう強く感じる。

 ところが本書にこのような痛烈な記述がある。要約してご紹介しよう。

「なにかに熱中している人に、それは退屈を紛らわせるみじめな行為だと指摘する人こそ、最も愚かな人だ。訳知り顔で他人に指摘して回る行為も同じく、退屈を紛らわせるみじめな行為だ」

 先ほど「人間は退屈をかき消すために苦しみを求めるみじめな生き物だ」と書いた筆者も愚かで不幸なのだろう。人間はどうやってもみじめな運命から逃れられず、自身の愚かさを克服できないらしい。

 本書を読んで胸に刻んだことがある。まずは自分という人間が愚かであり、みじめであることを自覚して、それでも社会集団で暮らす一人の人間としてできることはなにか? 謙虚にそう思い至ることこそ、私たちのスタートラインなのだと。このスタートラインを見失った人が、テレビやネットを騒がせてしまうのだと。

 ちなみに増補新版である本書は、巻末でこのような問いに答えている。「なぜ人は退屈するのか?」。旧版では答えられなかった問いに向き合い、ついに1つの答えを出しているのだ。

 この記事ではそのヒントを載せるに留めておきたい。それは2つだ。まず1つが、「私たちは何もしていない状態に堪えられない」。もう1つが、精神医学の用語「サリエンシー:いまだ慣れない刺激」だ。

 また、本書では「暇と退屈」を克服する方法について深く考察しているが、読み進めるには根気が必要だろう。哲学とは思考の深淵に到達することであり、生半可な根性と知性では到達できないものだと感じる。

文=いのうえゆきひろ