8年前に遭難した元夫は生きているのか…? 新聞連載で話題・桐野夏生の長編『とめどなく囁く』

文芸・カルチャー

2019/6/23

『とめどなく囁く』(桐野夏生/幻冬舎)

 結婚して4年になるが、夫の意外な一面を見て、驚くことがいまだにある。だからこそ飽きずに結婚生活を続けることができているのかもしれないが、夫が何気なく放った一言が、自分の予想とあまりにかけ離れていた時…。一体これまで、私は彼のどこを見て、何を判断してきたのだろうかと不甲斐なさを感じるのも事実だ。一番近くにいるからといって、相手のことが全部わかるなんてことはないのだと痛感する。

 桐野夏生さんの『とめどなく囁く』(幻冬舎)は、そんな複雑な夫婦関係を描いた小説だ。本書は東京新聞などの朝刊で連載され、話題になった。

 主人公は、相模湾を望む超高級分譲地にある大邸宅で、歳の離れた資産家の夫・塩崎克典と暮らす早樹。41歳になる彼女は、8年前、前夫を海難事故で亡くした過去がある。前夫の庸介は、ひとりで海釣りに出掛けて帰らなかった。翌朝、沖合でボートが発見されたが、釣り道具は残っていたのに、姿だけが忽然と消えた。当日は穏やかな曇天の日で、遭難の可能性は低い。早樹は、庸介が帰ってくるのを信じて待ち続ける義母の反対もあり、離婚の申し立てをせず、7年経って死亡認定されてからようやく、フリーライターの仕事で出会ったゲームソフト会社の会長である克典と再婚した。

 72歳の克典もまた、前妻を突然の病気で亡くしている。2人の間にあるのは、激しい恋慕ではなく、穏やかな愛情。早樹は、疲弊する日々からようやく切り離され、静かな日常を送っていた。

 しかし、そんなある日、前夫の母親である菊美から連絡があり、「スーパーで庸介にそっくりな男を見た」と告げられる。作り話を疑った早樹だが、実親までもが、同じ時期に似た人を見かけたと言い始める。遭難から8年、早樹は再び当時の庸介をよく知る関係者に会い、彼が一体どんな人物であったのか知る決意をするのだった――。

 本書を読んで一番に感じたのは、人間の狡さや悪意、心の複雑さだ。早樹は、庸介が親しくしていた釣り仲間に次々と会うのだが、それは、見聞きしたくない現実を突きつけられる、辛い旅でもあった。登場する誰しもが腹に一物抱えており、早樹を利用しようとすることもあれば、あえて事実を告げないこともある。

 また、早樹は同時に、自身と同い歳でもある克典の娘・真矢に、父娘の間で生じた誤解から、個人ブログに悪口を次々と書かれ、ショックを受ける。壊れそうになる心を抱えながらも、「庸介は生きているかもしれない。さあ、どうする」という鳴りやまない囁きの音源を突き止めるために、真実を探り続けていくのである…!

 不穏な雰囲気や意外なところから明らかになる真実に惹かれ、長編だが、最後まで一気に読んでしまった。夫婦は他人同士である。お互いに「理解しよう」と不断の努力を続けない限り、関係性を維持するのは難しい。それは、どちらか片方だけが頑張ってもきっと駄目なのだろう。早樹が31歳も年上の克典と結婚した理由に深く納得すると同時に、どんなに取り繕っても、心の内まではわからない人間関係の怖さにため息をついてしまった。果たして元夫は生きているのか。衝撃のラストを迎える物語を、ぜひ読んでみてほしい。

文=さゆ