脱北した元エリート外交官が暴露した、北朝鮮の真実――やはりかの国は、一族のための国家だった!?

社会

更新日:2019/6/24

『三階書記室の暗号 北朝鮮外交秘録』(太永浩:著、李柳真・黒河星子:訳、鐸木昌之:監訳/文藝春秋)

 162か国──。現在、北朝鮮と国交を樹立している国の数だ(外務省発表「北朝鮮基礎データ」平成29年2月9日現在より)。

 これだけの国と国交がありながらも、北朝鮮は国際社会からの孤立を深めている。その理由は主に、「核兵器開発の放棄」と「人権の尊重」という、国際社会から課せられた大きな2つの課題を解決させずにいるからだ。

 なぜ北朝鮮は、この2つの課題を解決できないのか。そして、外交の最前線にいる北朝鮮外交官にはどのような使命が与えられ、彼らは肩身の狭い国際社会の場でどう立ち回っているのか。これら、知られざる北朝鮮外交の詳細を教えてくれるのが『三階書記室の暗号 北朝鮮外交秘録』(太永浩:著、李柳真・黒河星子:訳、鐸木昌之:監訳/文藝春秋)だ。

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●元・北朝鮮エリート外交官による衝撃の暴露本

 本書が韓国で、瞬く間に10万部を超えるベストセラーになった理由は2つある。ひとつは、著者の太永浩(テ・ヨンホ、1962年生まれ)氏が単なる脱北者ではなく、ロンドンにある「在イギリス北朝鮮大使館公使」というエリート外交官だったこと。

 そしてもうひとつは、本書を記した理由が「北朝鮮の本質を他国に知らせるため」であり、「北朝鮮の人々を奴隷国家から解放するため」という、強い政治的意図に基づいた北朝鮮の内情・実情の暴露にあったからだ。

 そのため本書が明かすのは、著者の外交官体験(1993~2016年)の詳細だけではない。金日成時代(1945年~)から始まる北朝鮮の主要な外交史に触れながら、「核兵器開発の放棄」と「人権の尊重」を行わない理由を解き明かし、これまでベールに包まれてきた北朝鮮中枢部の権力構造に触れていく。また、金一族を除く一般国民へ与えられる思想教育や身分階級、無慈悲な人権はく奪の歴史や処刑を含む粛清の実際などについても、数々の貴重な証言が得られる内容だ。

 さらに本書には、北朝鮮政治を専門とする政治学者、鐸木昌之氏による解説コラムが数章ごとに置かれ、重要な記述に対する理解をより深められるよう工夫されている。

●理想とは大きくかけ離れた、金一族存続のためだけにある国家

 著者によれば、1994年頃より金正日(金正恩の父)は、「正直なふり、馬鹿なふり、悔しいふり、鈍いふりをしながらどこにいっても得られるものはすべて手に入れる」をモットーとする「猪八戒(ちょはっかい)外交」という戦術を取り始めたそうだ。こうした外交史秘話としての読みどころも多い本書だが、やはり全体を通して強く印象に残るのは─これが著者の脱北理由でもあるが─、国民不在の国家の在り方である。

 著者の言葉で表すなら、「北朝鮮とは、社会主義・共産主義という理想とは大きくかけ離れた、金一族存続のためだけにある国家」という側面だ。

 その象徴的な出来事の一例が、本書に記された「金正哲(キム・ジョンチョル)との61時間」というくだりからも垣間見られる。

 2015年3月、在イギリス北朝鮮大使館公使だった著者は、「三階書記室」と呼ばれる部署からの指令を直接、授かる。三階書記室とは、指導者の執務室にあたる部署で、そこからの指令はいわば、金正恩からの直接指令を意味するという。

 任務は極秘であり、暗号化されたメールのやり取りで始まる。著者にとっても初めての経験で緊張が高まる中、指令内容が判明すると愕然とする。

 その使命とは、金正恩氏の実兄である「金正哲氏」がロンドンで鑑賞するロックギタリスト「エリック・クラプトン」の公演チケットの入手、高級ホテルのスイートルームの手配、楽器店巡り等のアテンドだったのである。

 もし国民が「クラプトンが大好き」などと発言すれば、最悪処刑されるほど、西洋のロックは北朝鮮では邪悪な音楽という位置づけだ。こうした建前とは裏腹に、金一族だけはまさに湯水のように金を浪費し、好き勝手な行動を謳歌する。

 ロンドンで過ごした金正哲との61時間は著者にとって、矛盾だらけの北朝鮮の実像を、よりリアルに痛感させられる体験となったようだ。

●携帯電話やメディア・プレーヤーの普及が国家解体の足掛かりに?!

 もちろんこれは本書のごく一部だ。本書は他にも、配給制度が崩れて悲惨を極める国内の食糧事情や、外交史の詳細では、日本が関係した事件(大韓航空機爆破テロや拉致問題)にも一部触れている。

 ただし、著者は日本関連の情報にはさほど通じているわけではない。その背景には、完全なる縦割り行政がある。各省の横のつながりを一切なくして情報を分断することで、国家としての全体像を覆い隠す統治システムが確立されているのだ。

 一方で本書には、通貨改革をめぐり国民が国に抵抗した事例も登場する。つまり、国民蜂起が起こる可能性はゼロではないという。特に近年では闇市を通して、携帯電話や中国製メディア・プレーヤーとそこで再生される韓流コンテンツが、かなりの範囲で国民に普及していると記す著者は、これらのツールによって、これまでの情報秘匿の仕組みが瓦解し始めれば、それが国家解体の足掛かりにもなると見立てている。

 さて、今後、北朝鮮をめぐる情勢はどうなっていくのか。その未来を占ううえでも本書は重要な一石を投じている。ぜひ本書から、よりリアルな北朝鮮の実像にアクセスしてみてほしい。

文=未来遥