私達の知らない“エモい原宿” 日本最先端カルチャーの爆心地は70年代からこんなにイケてた

文芸・カルチャー

公開日:2019/6/30

『70s原宿 原風景 エッセイ集 思い出のあの店、あの場所』(中村のん:編著/DU BOOKS)

 三島由紀夫が割腹自殺(70)、マクドナルド日本1号店が銀座に開店(71)、あさま山荘事件(72)、クイーン初来日(75)、ゲーム「スペースインベーダー」が大ブーム(78)etc.

 まるっと思春期を過ごした1970年代、当時の筆者のまぶたに焼き付いた“衝撃の出来事BEST5”をあげてみた。

 当時、筆者のホームグラウンドは吉祥寺で、ロック喫茶やジャズ喫茶が何軒もあった。高級オーディオが鳴らすライブ会場さながらの爆音でひたすら音を浴びる。レコードが回ったらおしゃべり厳禁。音楽好き金なし高校生にとっては、コーヒー一杯で何時間でも音浴ができる憩いの場所だった。

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 残念に思うのは、その頃、原宿で人気だったロック喫茶「D.J.ストーン」のことを知らなかったこと。

『70s原宿 原風景 エッセイ集 思い出のあの店、あの場所』(中村のん:編著/DU BOOKS)は、70年代の原宿を舞台にしたリレーエッセイ集だ。

 登場する執筆陣は、スタイリストの中村のん氏が声をかけた面々で、スタイリスト第1号の高橋靖子さんを筆頭に、テクノポップをけん引した中西俊夫さん、ファッションデザイナー&ミュージシャンの藤原ヒロシさん、写真家の伊島薫さんなど、ファッションやアート、音楽などのクリエイターたち総勢45名。

●「自由と多様性」が70年代文化を象徴するキーワード

 本書には、当時20代、30代だった執筆陣たちに共通する、いくつかのアイコン(思い出スポット)が登場する。そのひとつが、原宿表参道と明治通りの交差点近くにあった「D.J.ストーン」である。

 ブリティシュロックとプログレを中心に流すこの店のウリは、ロック・スターのようなルックスのお兄さん店員たちと、ライトショータイムだったという。

 ちなみに本書には出てこないが、ストーンとはヒッピーたちの隠語で、マリファナ等で「キマッた」を意味する言葉(日本では流行っていないと思う)。

 プログレ(プログレッシブ・ロック)とは、ピンクフロイドを筆頭に70年代に台頭した音楽ジャンルのひとつで、今でいう「オルタナティブ系」のルーツのひとつ。1曲を3、4分にまとめる商業ベースの路線には乗らない、より高い自由度を追求したロックだ。

 本書を読むと、70年代とは「自由と多様性」を追い求めた時代だったようだ。大きな資本に頼らず、いろんな人が手探りで、自分の好きなことを実験的にやってみる時代。

 原宿はことファッションにおいて、そんな自由と多様性を、歩き始めたばかりのデザイナーたちが謳歌した街だった。本書には、「MILK」の安田あけみさん、「MELROSE」のチーフデザイナーだった横森美奈子さんらが、当時の原宿に渦巻いた若きファッションデザイナーたちのエネルギーをさまざまに描写する。

●多彩なクリエイターたちが交錯した喫茶店「レオン」

 本書には他にも、執筆陣が選んだアイコンとして、若きクリエイターたちの巣窟だった建て替え前の「原宿セントラルアパート」と、そのすぐそばにあった喫茶店「レオン」などが登場する。どちらも前述の交差点の角のあたり。70年代原宿文化の爆心地だ。

 美味しいコーヒーが数百円で飲めて、かつ、お替わり自由だったという「レオン」。この辺りの商売っ気のなさとサービス精神がまさにバブル以前の70年代。当然ながら、異業種交流の場と化したようだ。

 デヴィッド・ボウイのスタイリストでもあった高橋靖子さんは、「レオンがかっこいいことはなかったけれど、そこに集まった人がレオンを特別な場所にしていきました」と綴る。イラストレーターの山口はるみ、映画監督の伊丹十三、写真家の浅井慎平、コピーライターの糸井重里ほかの面々が交錯し、静かにコーヒーを飲んでいた川久保玲(コムデギャルソン)が「私、洋服をやろうと思う」と一言いったのを、高橋さんはよく覚えているという。

 執筆陣はそろって1950年代生まれだが、現役バリバリの人も多い。まるで若い頃に創造的な空気で心身を充填させると、そのエネルギーが生涯続くかのようだ。

 ぜひ本書で、70年代原宿に漂った個性あふれる創造的な空気感に触れ、そのエネルギーを胸の奥深くへと吸い込んでみてはいかがだろうか。

文=町田光