『大家さんと僕』と番外編本、そして矢部太郎さんのこと

エンタメ

2019/7/5

『「大家さんと僕」と僕』(矢部太郎 ほか/新潮社)

 矢部太郎さんに初めてお会いしたのは『大家さんと僕』(新潮社)の単行本のインタビューの現場だった。まだ本が発売される前で、取材場所は大家さんもよくいらっしゃるというご自宅近くにあるクラシックな佇まいの喫茶店。矢部さんはこちらからの質問をいったん自分の中へ取り込み、手を口の下辺りに当てながらじっと考え、ひとつひとつ真摯に答えてくださる姿がとても印象的で、ちょっと意地悪な問いかけには「いやいやいや!」と照れ笑いで謙遜し、本を出せたことは「大家さんのおかげです」と素直に喜んでいらした。

 取材の後、矢部さんのご厚意でご自宅の場所を教えてもらった私は、漫画の中でホタルがいたと大家さんが話していた川を渡り、新宿区の外れにある木造2階建てのお住まいを拝見しに行った。舗装されていない地面に飛び石のある細い路地を抜けると、漫画に描かれた通りの家があって、「サイズを間違えて、大家さんの表札よりも大きくなってしまって」と照れながら話されていた「◯◯方 矢部」という表札もあり、漫画で描かれた世界の一端に触れられたようで、とても温かい気持ちになったことを覚えている。

 出版後、程なくして矢部さんは一躍注目の人となり、『大家さんと僕』はあっという間にベストセラーとなった。それだけでも驚いていたのに、なんと手塚治虫文化賞短編賞を専業漫画家以外で初めて受賞され、数々の取材やテレビ出演、各賞の受賞、さらには続編を『週刊新潮』で連載するなど、大家さんに「大きな仕事をされましたね」と褒められるほどの大活躍だった(今では78万部を超す大ベストセラーだ)。

 今回まとめられた番外編本『「大家さんと僕」と僕』(新潮社)は、様々な媒体で描かれた漫画や各界から寄せられたコメント、自作解説、大家さん宅の草むしりを一緒にやった後輩芸人「のちゃーん」さんのインタビューなど、「『大家さんと僕』を描いた僕=矢部太郎」の軌跡が詰まっている。

 漫画家、作家、映画監督、俳優、芸人、担当編集者(宝塚ファンとして暴走する漫画にも注目)など幅広いジャンルの方々から寄せられた「『大家さんと僕』とわたし」(矢部さんは「僕の大好きな方々」と形容している)を読んでいると、この漫画がなぜ多くの読者を惹き付け、心を温めたのか、その理由が本当によくわかる。また取材中に矢部さんが見せた熟慮する姿は、矢作兼さんのコメントにその答えがあった。

僕は矢部君を天才だとずっと思っていて、だってどう考えても普通じゃないよね、見た目から(笑)。面白いことは思いつくのに、緊張でパフォーマンスが追い付かないだけなんです。

 本書には手塚治虫文化賞で感動を与えたスピーチ全文と手塚るみ子さんとの対談、父であり絵本作家であるやべみつのりさんとのご自宅での対談、そして「電波少年」シリーズの生みの親で、矢部さんにとっての“ラスボス”であるテレビプロデューサーの土屋敏男さんとの対談(僭越ながら私が取材と構成を担当しました)も掲載されている。中でも土屋さんとの対談は、この2年あまり日本中から「ほっこり」を集めた矢部さんが、芸人として笑いに貪欲な側面を覗かせる貴重(?)なもの。土屋さんは毒気のある愛を込めて、矢部さんをこう評している。

意固地なまま売れずにいたところが、ここで手塚治虫文化賞ですから。いやあ、諦めちゃいけないですよね、才能ってどこにあるかわからない!

 7月末、その後の日々が描かれる『大家さん僕 これから』の出版を控えている矢部さん。昨年8月に惜しくも亡くなられた大家さんとの別れをどのように描くのか、また皆が結末を知っている物語をどうまとめるのか? 当の大家さんからは生前に「次はにぎやかな一冊がいいわ!!」との注文があったそうなので、ユーモアとペーソス、そしてファンタジーが絶妙な間を生む「矢部ワールド」が展開することに期待したい。

文=成田全(ナリタタモツ)