あなたも呪われているかも? 知らずにかかってしまう呪いを解く方法

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更新日:2019/7/8

『呪いの言葉の解きかた』(上西充子/晶文社)

 呪いというと、なにやらまがまがしい呪術の一種という印象を持つかもしれない。有名なところだと丑の刻参りがあるが、呪いとはネガティブで手の込んだ儀式的なことを行い、特定の相手にかけるものと思いがちではないだろうか。しかし、実際にはちょっとした言葉の刷り込みで呪縛にかかってしまうこともあるのだろうな、と筆者は感じることがある。まあ、プラシーボ効果のようなものだろうか? そんなことを考えているときに見つけた本が『呪いの言葉の解きかた』(上西充子/晶文社)である。

 目にとまったきっかけはタイトルだが、著者の上西充子氏は日本労働研究機構の研究員を経て、現在は法政大学キャリアデザイン学部教授などを務める人物(本書プロフィールより)。そんな背景もあり、労働や政治関係の内容が多めなのは否めないのだが、「言葉の刷り込みの呪縛」というものに気づけるという点では参考になると思う。

 私たちは日常でさまざまな言葉をかけられている。多くの人に当てはまりそうなもので例をあげると「もういい年なんだから落ち着いたら?」「若い人は席を譲りなさい」といったものがある。このような言葉はどこか正しい印象を受けはしないだろうか? 日常的で誰もが使いやすい言葉だけに、繰り返し耳にしているうち、正しいことという刷り込みに変わってしまうからだ。しかし、実際にはこの2つの言葉は決して正しいことではない。

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「もういい年なんだから落ち着いたら?」というのは結婚をすすめることにも取れるし、服装を地味にしたり行動を慎しんだりすべきだという意味にもとれる。だが、結婚をするかどうかは個人が決めることで自由だし、年齢を重ねたからといって地味な服を着なければならない、という道理はない。この言葉の裏には偏見や嫉妬が隠されていることが多い。結婚していないとおかしいという偏見を持った人や、自分が華やかな服を着る機会がないためにうらやましいといった思いから発している人もいるのだ。

 バスや電車で意識しがちな「若い人は席を譲るべき」というのも一種の呪いと言える。本来はケガをしている人や体調が良くない人が座るべきで、年齢でくくるべきではない。こんな呪いの言葉にかかっていると、体調が悪くぐったりしている若者を叱咤して席から立たせ、足腰に問題ない元気な老人が座るというおかしなことも起こるわけだ。高齢者というのは単なる「弱者」の一例でしかない。

 このような言葉による呪縛は、親から受けてしまう人も多いと筆者は感じる。子どもをいつまでも自分の支配下に置きたい親の場合は、「ひとり暮らしなんてとんでもないこと」「働かなくていい」「子どもはお金を持たなくていい」などと自立を阻むことも多いのだそうだ。中には「お前には才能がない」といった自信を失わせる言葉を幼少期からかけるという卑劣な親も存在するという話を聞くこともある。実際にそんな親の「呪いの言葉」がなかなか解けず、前に進めない人も多いのではないだろうか。

 本書では、労働上でありがちなことや親子問題など、実際に起こったできごとや事件も題材にして解説している。個人的には参考までに留めておきたいと感じる見方もあるが、社会で表向きに取り上げられている意見や表現に対して「本当はどうなのか?」という疑問を持つ目を養うきっかけにできると思う。

 正しいと思っていた情報が、実は違う思惑のもとで歪められていることもある。今現在の日本で言えば、年金問題もその一つではないだろうか。著者が注目している働き方改革なども確かに疑問視したい点はいくつかある。一見、前向きでポジティブな印象の言葉であっても、何か隠されている真意がないかどうかを疑うことは大切なのだ。

 ただし、なんにでも反対するということではないので誤解しないでほしい。言葉や情報を鵜呑みにせず、隠れた相手の真意や不都合な事実を見抜き、自分の自由を縛ったり権利を奪われたりしないよう考えていこうではないか。

文=いしい