患者に伸びた手は奇跡を起こす手か悪魔の手か? 多くの糾弾と注目を浴びた2006年のあの事件の真相とは

社会

2019/7/26

『”悪魔の医師”か”赤ひげ”か』(池座雅之/出版芸術社)

「猟奇的犯行」「老女からの腎臓狩り」「移植マニア」など多くの過激な言葉がメディアのタイトルを飾り、ひとりの医師が大きな批判を受けた、あの事件をあなたは覚えているだろうか。

 常に患者と向き合い地元からの信頼も厚かったひとりの町医者が、ある日突然“悪魔の医師”と呼ばれて全国の注目を集め、メディアや患者、医学会、さらには国をも巻き込む大騒動となった事件である。2006年に愛媛県宇和島市にある宇和島徳洲会病院の医師・万波誠氏が日本初の臓器売買事件への関与の疑いをかけられ、事件には無関係だったことが判明したものの、その後に病気腎移植をしていたことが発覚し問題視された。

『”悪魔の医師”か”赤ひげ”か』(池座雅之/出版芸術社)では、2018年3月と同年7月に放送されたNHKの番組『“悪魔の医師”か“赤ひげ”か』をもとに、放送では紹介しきれなかった証言や内容も含めながら事件の真相をあらためて明らかにしている。

 たとえば、この問題に関わり深い人物たちが今と当時の思いをそれぞれの立場から語っている内容は非常に興味深い。騒動のなか、修復腎移植に対する批判派という立ち位置でたびたびメディアに登場した大島伸一氏は、当時日本移植学会副理事長であり腎臓移植医だった人物だ。多くのメディアでは大島氏が「人体実験」という言葉で批判した部分ばかりをクローズアップしていたが、実際のインタビューはもっと長かったという。本書では当時のニュースなどでは取り上げられなかった、「人体実験」という言葉を発した真意や経緯についても明かされている。さらに、騒動時の宇和島徳洲会病院院長や、世界の臓器移植情勢に詳しい生命倫理学者、過激なタイトルで国民の注目を集めた週刊誌の編集者、患者らの声もある。

 加えて、地域医療にこだわって昇進をことごとく断り続け70歳を超える今でもなお患者一筋に治療にあたる万波氏の医師人生や、ほかの医師たちから「超人的」「神」「天才」と評され、患者らからの信望も厚い彼の医療に対する姿勢についても紹介されている。そのほか、腎移植の現状や海外の腎移植事情も知ることができるのだ。

 そもそも、問題とされた修復腎移植(病気腎移植)とは、病気が原因で摘出した腎臓を修復し、必要とする患者に移植する方法をいう。法律や日本移植学会の倫理指針で定められているのは死体臓器移植と親族内から移植を受ける生体臓器移植の2つだけ。修復腎移植は移植のガイドラインで定められていない医療法で、患者にとってリスクがあり、それが学会などから批判された理由のひとつとなっていたようだ。

 なぜ万波医師はそんな修復腎移植に踏み切ったのか。そこには、腎不全と闘う深刻な患者たちの状況があるという。身近に患者がいないとなかなか理解しにくいが、本書から知らされる患者たちの実態はとても重い。リスクがあっても、多くの患者が希望の道として修復腎移植を求めている現実がそこにはある。そして、長い経験から培った技術があるから、苦しむ患者らを目の前に修復腎移植に踏み切らずにいられなかったのが万波医師だったのだ。

 対して、ルールのもと、科学的根拠があり安全を確保できる方法によって医療を推進していこうと考えていたのが学会などの批判派だ。修復腎移植について、病気だった腎臓を再利用するリスクや、修復できる腎臓を本人に戻さずほかの患者に移植する必要性、移植する患者選びの方法などを疑問視している。

 最近では不妊治療などでも新しい技術を取り入れようとする動きが生じると、このような対立的構造が生まれやすいようだ。歴史をさかのぼると例外がその後に主流となることも多く、立場やタイミングで変化する善と悪の見極めは非常に難しい。

 本書で取り上げられているのは修復腎移植に関する問題だけではない。生命倫理における患者の自己決定の保証問題もある。負担の重い治療を死ぬまで受ける生活よりも、リスクがあり一時的であっても普通の暮らしがしたいと修復腎移植を望む患者の生き方の選択を医師が否定してもよいのかという疑問だ。また、今回は過剰ともいえるメディアの報道とそれに踊らされた国民も多くいた。今後のメディアの在り方や報道を受ける人たちの姿勢も問うている。

 腎不全やメディア報道の的となることは誰にでも起こり得る問題だ。いつ自分や家族の身に降りかかるかもしれないこれらの問題について本書を通して一度考えてみてはいかがだろうか。

文=Chika Samon