極道歴30年ヤクザの若頭からうどん屋店主に。周囲の人々はどう受け入れている?

社会

2019/7/27

『ヤクザの幹部をやめて、うどん店はじめました。 極道歴30年中本サンのカタギ修行奮闘記』(廣末登/新潮社)

 身長178センチほどで体型はやせ型。現在は気さくなうどん屋の店主として、朝早くから仕込みにいそしむ中本サンはかつて、改正暴対法により“特定危険指定”された暴力団・工藤會の幹部にまでのし上がった男性である。

 30年もの間。任侠の世界で生きてきた中本サンが、いかにして“カタギ”の道へ行き着いたのか。犯罪社会学者でもある著者による『ヤクザの幹部をやめて、うどん店はじめました。 極道歴30年中本サンのカタギ修行奮闘記』(廣末登/新潮社)には、その生きざまが描かれている。

■トイチの闇金からヤクザの若頭へ成り上がる

 10代半ばには仲間とシンナーにも明け暮れていたという中本サン。その後、暴走族へ入った時期もあったが、ヤクザの世界へ足をふみ入れたのは20歳を過ぎた頃だった。

 当時、友人からヤクザと付き合いのある人を紹介されたという中本サンは、一般の客を相手にする不動産屋で働き始めた。しかし一方で、ヤクザのブローカーも立ち入る環境で、次第にトイチ(10日で1割の金利)でカネを貸す“闇金”にも関わるようになったと振り返る。

 そして、本格的にヤクザの世界へ身を投じるようになったのは22〜23歳の頃。年齢を重ねるにつれて、親分の世話役を任されるようになった中本サンは、その世界での出世街道をかけ上がった。転機となったのは、33歳の頃。事務所で顔を合わせていたある人物が独立することになり、引き上げられるかたちで初めて「若頭として盃をもらうことになった」という。

■どうやってうどん店をオープンした?

 しかし、30年もの間、ヤクザの世界で生きてきた中本サンはそこから離脱した現在、うどん屋の店主として働いている。きっかけは、小倉にある知り合いのうどん屋の店主へ「うどん作りを教えてくれんね」とお願いしたことだったという。

 朝の6時半から昼の2時まで営業していたお店で、仕込みから営業、片付けまで修行させてもらった中本サン。毎日のように足繁く通い、「一杯のうどんができるまでの全ての工程を学ばせてもらいました」と振り返るが、当時、自身の“師匠”が「うどんは自分で作って身体で、五感で覚えるしかない。何が欠けているのか――自分で気づかないと分からない」と語っていた口癖は、今でも胸に刻まれているという。

 そして、ようやくオープンを迎えたのは平成29年6月7日。毎日のように黙々と働いた開業当初に思いを巡らせる中本サンはこう振り返る。

「今になったら笑い話ですが、これには、懲役の作業経験が役に立ったんかも知れんです」

 その営業はNHKのドキュメンタリー番組「ノーナレ」で紹介されたのをきっかけに盛況をみせ、現在も地元で愛されるうどん屋の店主として活躍している。

■ヤクザを受け入れる地域の人はどう考えている?

 話はさかのぼり、開業時にはテナントを設けた商店街と「どう接するか」が問題だったと述べる中本サン。本書には、その商店街でとある美容室を営む店主の話も掲載されている。

 中本サンが所属していた工藤會の地元・福岡県小倉に店をかまえる店主は、ヤクザが多かった土地柄からかあまりヤクザを怖いと感じることもなく、「こういう街だから、免疫ができるんでしょう」と語る。その存在についても「良いとはいえないが、社会にとっての必要悪の部分があると思います」と印象を話す。その理由は、「苦情処理(諍いや権利関係、金銭問題から生じる不和の仲裁など)という部分」があるからだという…。

 また、暴力団からの離脱者が一般社会へなじむためには「何らかの罪を背負っているでしょうから、やっぱり『地ならし』期間は必要」と語る店主。その土台にあるのは人柄であろうが、「更生しようと頑張っている人は、社会で認めてあげるべきだと思います」と見解を示す。

 人の生きる道というのは、人それぞれである。ヤクザと聞くとどうしても一括りにして色眼鏡で見てしまうものかもしれないが、本書からにじんでくるのは「ひとりの人間」から感じられる生きざま。いま自分の目の前が暗く感じられている人たちにとっても、きっと得るものがある1冊となるはずだ。

文=カネコシュウヘイ