クライムサーガの金字塔、ついに完結! ドン・ウィンズロウ『ザ・ボーダー』

小説・エッセイ

公開日:2019/8/7

【熱烈レビュー】半世紀に及ぶ麻薬戦争サーガ、圧巻の完結編

 3部作を通してケラーが挑んできたものの正体は何だったのか。書評家・大矢博子さんにいち早く読み解いていただきました。

 ただひたすら、圧倒された。

 メキシコとアメリカを舞台に、長年にわたる麻薬戦争を描いてきた3部作の、堂々の完結だ。

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 ――いや、本当に“完結”〟なのだろうか? 読み終わった今、そんな思いが渦巻いている。

 2017年、ワシントンDCでの発砲事件をプロローグで見せたあと、物語は2012年に遡る。元アメリカ麻薬捜査官のアート・ケラーがグアテマラの密林を出て歩いている場面だ。前作『ザ・カルテル』本編の最後の一文「そして銃を捨てると、密林の闇の中へ姿を消す」の続きである。

 メキシコ麻薬王として君臨してきたアダン・バレーラがグアテマラで消えた。アダンの消息は不明のままメキシコでは束の間の──見せかけではあるが平和な日々が続いていた。

 しかしその平和は、唐突に終わりを告げる。アダンの〈息子たち〉が後継争いと縄張り争いを始めたのである。以前にも増して激しくなる混沌と破壊。

 その間もメキシコからアメリカへの麻薬の流入は止まらず、ケラーは請われて麻薬取締局局長に就任することになった。これまで40年、麻薬と闘ってきた自分だからこそできることがあると思っての決心だった。そしてケラーとメキシコ麻薬カルテルの3度目の戦いが始まる――。

 前2作同様、幾つものストリームが重層的に物語を構成していくのが特徴。

 アダンの〈息子たち〉という、『犬の力』から数えると第3世代となる若者たちの争い。前作でケラーと取引して刑務所に収監された麻薬商人エディ・ルイスの獄中での策略。彼らをコントロールしようとする元麻薬王ラファエル・カーロ。前作に無敵の殺し屋として登場した少年・チュイも引き続き登場するが、その姿は前作とは大きく変わっている。

 アメリカ国内でのドラッグ汚染の描写もリアルだ。次第に強い薬を求めた結果、転落の一途を辿る中毒者のジャッキー。ギャング団と貧困から逃げて決死の思いでアメリカを目指したのに、結局犯罪に巻き込まれていくグアテマラの少年・ニコ。真実を暴こうとしたジャーナリストを襲う苛烈な妨害や、必要な役目だとわかっていながらも汚れ仕事に心がついていかずに悩む囮捜査官シレロ。そして浮かび上がる、メキシコの巨額なドラッグマネーとアメリカ政財界の結びつき。

 時には手に汗握るエキサイティングなエンターテインメントとして、時には重く心にのしかかる現実の厳しさを抉った社会派小説として、また時には無力な人間を取り巻く運命に心震わせる市井の物語として、本書は読者の心をめまぐるしく揺さぶり続ける。

 個々のドラマがおそろしく濃密なのは言うまでもないが、ウィンズロウは多くの人物の〈虫の目〉から見た世界を描くことで、麻薬戦争とは何なのか、すべてを俯瞰した〈鳥の目〉を読者に与えていることに注目。その〈鳥の目〉で見えてきたものを、ケラーがはっきりと言葉にしてくる終盤の〈証言〉はここまでのケラーの戦いの総括であると同時に、シリーズ屈指の名場面と言っていい。

 本書最大の特徴は、舞台となる2012年から2017年の間にアメリカ大統領選挙が行われたということだろう。本書にはあからさまに現大統領ドナルド・トランプを模したジョン・デニソンが登場、メキシコからの密入国と麻薬密輸を遮るため国境に壁を作るなどと発言して、大統領選に勝利する。そして彼の側近が推し進める謀略に、ケラーはまっこうから異を唱えるのである。

 これまでウィンズロウは、麻薬戦争・麻薬汚染の根底にあるのは差別と貧困、そしてそれらに対する社会の無関心であると書き続けてきた。その最終段階として本書では、麻薬カルテルを巡る戦いだけではなく、なぜアメリカにここまで麻薬が蔓延したのかという理由に目を向けた。

 ケラーは――ウィンズロウは訴える。麻薬は作る者・売る者・買う者だけの問題では決してなく、無関心という手段でそんな社会を許してきた全員の責任なのだと。差別発言を繰り返す人物を諾々と施政者に選んでしまった、そんな無関心がすべての根源なのだと。タイトルの『ザ・ボーダー』は国境の意味だが、人種や性別、階級や法の境界のことでもあり、人が一歩を踏み出すときに乗り越えねばならない心の境界線の意味でもあるのだ。

 これはそのまま今の日本にもダイレクトに響くメッセージだ。差別と貧困。それが問題だとわかっていながら、声を上げるでもなく行動を起こすでもなく、現状をただ続けていく大いなる無関心。自分には関係ない。自分に直接の被害はない。むしろ何か言えば叩かれる――それでいいのか?

 私が本稿の冒頭で「本当に“完結”なのだろうか?」と書いた理由はそこにある。物語は確かに3部作で幕を閉じた。多くの死と悲劇の果てに一筋の光を残した、力強い結末である。だが、ウィンズロウが訴えた問題は、現実に今日も続いているのだ。

 ケラーが向き合った問題の続きは、そのまま私たち読者に託されたのである。