伊坂幸太郎の真髄、ここにあり! 伏線が回収される爽快感と、理不尽な現実に揺れる感情を『クジラアタマの王様』で描き出す!

文芸・カルチャー

更新日:2019/8/6

『クジラアタマの王様』(伊坂幸太郎/NHK出版)

 これは怒ってもいいことだ、と世間が見定めたときの、怒りのエネルギーはすさまじい。前後の文脈を冷静に見ればそんなに怒るようなことでもなかったり、あるいはあとから真逆の事実が判明して、怒りそのものが筋違いだったりすることもある。けれどその場合、炎上に一役買った人たちの多くは、同じ熱量で火消しには走らない。

「どうしてそんな風に僕たちを叩き潰す言い方ができるのか」と、小説『クジラアタマの王様』(伊坂幸太郎/NHK出版)の主人公・岸は言う。自社製品が炎上し、考えなしの部長が謝罪会見で失言し、対応に奔走するなかマスコミに囲まれた、物語の冒頭だ。

 自分たちにも非はある。完璧な善ではなかったかもしれない。でもどうして、部長の家族も槍玉にあげて、人生のすべてを糾弾する勢いで、責められなくてはいけないのか。そもそも本当の原因もわかっていないのに、とやるせない怒りを抱える岸に、読者は「今作は企業を舞台に、匿名の正義感と対峙する話なのかな」と予想することだろう。間違ってはいない。たしかにそのとおりではあるのだが、それにしては頻繁にはさみこまれる挿絵の様子がちょっとおかしい。挿絵というか、セリフのないコミックなのだ。巨大なハリネズミに楯と矢をもって立ち向かう戦士。これは、何かのイメージか? そう思っていると、第2章では、炎上騒ぎの関係者でもある池野内議員が現れて、岸に言うのだ。「夢をみませんか?」

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 池野内は、夢で岸を見たという。謎のハシビロコウに従って、ともに夢のなかでモンスターを倒してまわっているというのだ。人気俳優の小沢ヒジリもその一人。半信半疑の岸だが、3人は過去に同じ火事に巻き込まれたという共通点があり、しかもヒジリにも夢の記憶があると知る。そうして現実でも関わりをもつことになった3人は、次々と襲いかかってくる危機に、夢でも現実でもともに立ち向かうことになる――という、いっぷう変わった設定の小説だ。しかも、どうやら夢世界を映し出しているらしいコミックパートを含め、ありとあらゆる描写が伏線として仕掛けられているから、一瞬たりとも気を抜くことができない。

 伊坂幸太郎さんの伏線に慣れた読者であっても「まさか、そことそこが繋がるの!?」と驚かずにはいられない緻密な構成。かつてないほどアクション描写の頻発する事件の数々。その狭間で描かれる、理不尽な現実を生き抜こうとする人々の繊細な感情。伊坂幸太郎らしさを全開にしながら、これまで読んだことのないエンターテインメント性の高さを発揮した、まさに“真髄”としか言いようのない作品なのである。

〈人間を動かすのは、理屈や論理よりも、感情だ〉と岸は言う。夢と現実の交錯する、一見現実離れした設定でありながら、いつ自分の身に起きてもおかしくないと思えるのは、登場する全員の感情を、伊坂さんが現実にあるものとして描き切っているからだ。そしてその感情が、読者があたりまえだと信じていた世界を、いともたやすくひっくり返す。読み終えたあとはきっと、世界がこれまでと違った色と輝きをもって、その目に映るはずである。

文=立花もも

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