戦争によって引き裂かれた男たちの運命――浅田次郎が生み出す反戦小説

文芸・カルチャー

2019/8/6

『帰郷』(浅田次郎/集英社)

 平成が「戦争のない時代」として幕を閉じた。新しい令和という時代も、平和を当たり前と思える時代であってほしい。多くの人はそう思っているだろうが、そのために最も大切なことは、きっと想像力を働かせ続けることであるのではないかと思う。戦後74年。戦争を経験した世代が少なくなっていく中で、戦争を知らない私たちは、平和な毎日をありがたみも感じずに当然のこととして享受している。「戦争は悲しい出来事」。多くの人がそう認識するなかで、それでもなくならないのは、戦争がどういうものかきちんと想像できていないかせではないか。戦争がどんな世界を生み出すのか、戦争の場で起きたあらゆる悲劇を想像することが、平和を維持し続けるために必要なことであるはずだ。

 浅田次郎氏の『帰郷』(集英社)は、戦争によって運命を翻弄された人々を描き出す短編小説集。長編小説『終わらざる夏』をはじめ、戦争小説をライフワークとして描き続けてきた浅田氏が、「いまこそ読んでほしい」との覚悟を持って執筆した6つの短編を収録した反戦小説集だ。

 戦後の闇市で、南方から生還した帰還兵と娼婦が出会う表題作「歸鄕」。ニューギニアで高射砲の修理にあたる職工を描く「鉄の沈黙」。レイテ島で戦死した父の顔を知らず、開業直後の後楽園遊園地でアルバイトをする大学生と敗戦後の世界を描いた「夜の遊園地」。南方戦線で生き残った兵士が戦後の生き方を見つめる「金鵄のもとに」…。

 この本に出てくる登場人物たちは、平和な世の中ならば、私たちと同様にごく普通に暮らしていたであろう人たちばかりだ。庄屋の長男坊や職工、左官の見習い、大工、自転車屋、魚河岸の仲買人、学生…。普通の暮らしをしていたのに、突然、赤紙が届き、戦争へと駆り出されたのだ。そうして、「お国のために」戦うことを強いられ続けた。戦争とは無関係な人たちが死地に向かった現実は、あまりにも理不尽。故郷に帰れる望みなどないまま、彼らは戦い続けなければならなかったのだ。

 だが、無事に生き残れたからといって、それで悲劇は終わりというわけではない。たとえば、表題の「歸鄕」では、信州松本の庄屋の長男坊が、部隊は玉砕しつつも彼だけが生き残ることができたのだが…。彼にとっては、生き残って故郷に帰った後にこそ、本当の悲劇が待ち受けていた。辛い戦争を終えて、帰ってきたというのに、こんなに苦しい結末が待ち構えていたのかと思うと、胸が押しつぶされそうな心持ちがする。

「誰も恨みはしない。憎いのは戦争だけだった。」

「戦争」という言葉を聞くと、「悲劇」という言葉が連想される。だが、戦争の世界にある悲劇を私たちは正しく認識できているだろうか。この作品では、6つの短編によって、戦争によってもたらされた悲劇を登場人物の数だけ描き出しているのだ。戦争によって巻き起された悲劇は人の数だけある。何万人もの人が犠牲になった時、そこには、犠牲になった人やその家族、生き延びた人など、無数の悲劇がある。

「戦争は知らない。だが、ゆえなく死んで行った何百万人もの兵隊と自分たちの間には、たしかな血脈があった。ジャングルの中や船艙や、凍土の下に埋もれていった日本人を、外国人のように考えていた自分が、情けなくてならなかった。」

 二度と戦争を起こしてはいけないという思いがあるのならば、この本を読むべきだろう。そこにある人々の葛藤を、想像力の及ばなかった世界を教えてくれる本は、今この時代にこそ、読むべき作品。この夏にこそ、手にとってみてほしい一冊だ。

文=アサトーミナミ