どうして新宿二丁目にゲイバー街が生まれたのか? を歴史的に探究した興味深い1冊!

社会

公開日:2019/8/7

『新宿二丁目(新潮新書)』(伏見憲明/新潮社)

 2019年の春ドラマでは、LGBTを主人公にしたドラマが賑わいをみせていた。7月9日配信の日刊ゲンダイDIGITALによれば、「専門誌『ザテレビジョン』のウェブサイトがSNSなどを独自調査した人気ドラマランキングを見ると、1位にテレビ東京系『きのう何食べた?』が輝き、NHK『なつぞら』を2位に退けている」そうだ。

 さらに、「昨年大ヒットした『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)もゲイの恋愛を描き、話題になった。そのヒットを受けた今年も主人公がゲイの教師の『俺のスカート、どこ行った?』(日本テレビ系)、『腐女子、うっかりゲイに告る。』(NHK)などが放送され、ドラマ界でLGBTはすっかりブームの様相だ」と報じていた。

 諸外国に負けず劣らず、LGBTを擁護する風潮が高まりつつある日本だが、今や世界を代表するLGBTのサードプレイス(自宅、仕事場に次ぐ第3の居場所)に成長したともいわれるのが、新宿二丁目である。ところで、現在の二丁目界隈には、いったいどれくらいの数のLGBT系飲食店があるのか?

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■400軒ものLGBT系飲食店がひしめく新宿二丁目

『新宿二丁目(新潮新書)』(新潮社)の著者で、ゲイカルチャー雑誌『クィア・ジャパン』の編集長なども務めた評論家・作家にして、ゲイバー「A Day In The Life」を経営する伏見憲明氏は本書に、「正確な数は誰にもわからない」としながらも、さまざまな根拠からの推測で「400軒くらい」だと記している。

 その内訳は、レズビアン向けバーがおよそ15軒、女装系が10数軒。その他にも少数派だが、ストレート客OKのゲイバーである「ミックスバー」、一般客向けの「観光バー」や外国人専用系、韓国系、中国系など、多様化はしているものの、大多数を占めるのは昔も今も変わらず、男性同性愛者向けのゲイバーという構成だという。

 さて、こうした二丁目の現況にも折々に触れる本書だが、主眼としているのは、「どうして二丁目にゲイバー街が生まれたのか?」という疑問に対する歴史的な考察である。

 本書はその二丁目研究の導入編であり、江戸時代から1960年代までの男性同性愛者向けゲイバー&ゲイカルチャーの変遷を、さまざまな生き証人たちへの取材と資料精査に基づいて記した内容だ。

 そのため、レズビアンやトランスジェンダー、女装などのカルチャーに関する言及はほとんどなく、また70年代から現在に至るまでの二丁目トピックスなどについても、「新たな機会に委ねたい」としている。

■新宿二丁目と芥川龍之介の奇妙な関係とは?

 それにしても、ストレートである筆者などが読んでも、本書が教えてくれる事実はじつに興味深い。

 前半部では、セックス産業・カルチャーとかかわりが深い新宿の妖土のルーツを江戸時代にまでさかのぼっている。

 それが1698年におかれた「内藤新宿」という宿場だ。現在の四谷三丁目付近から、新宿三丁目付近までに広がったこの宿場には、738軒の店が軒を連ね、その中には旅籠屋や茶屋も多数ある。

 江戸時代、宿場町の旅籠屋の飯盛女や茶屋の茶屋女といえば、風俗嬢的な役割を担うこともあったそうで、つまり「セックスで儲けようとする新宿」の妖土は、この頃からつくられてきたそうだ。

 さらに、著者が引用する資料『新宿 考現学』(深作光貞著1968年)が驚きの事実を教えてくれる。それは、江戸時代から新宿の守り神である花園神社が経営上の理由から芝居小屋を建てさせており、その舞台に上がっていた当時の歌舞伎役者たちが男娼と化し、「遊女なみの高料金をとり、茶屋を舞台に、倒錯した情事(つまり男性同士のセックス)が花園神社を中心にして新宿でもくりひろげられた」のだそうだ。

 こうした新宿の特殊な磁場を二丁目に絞ると、これがまた興味深い。じつは1918年まで二丁目には大きな農場があったのだそうだ。経営していたのは、なんと芥川龍之介の父だった。それが立ち退いたことで1922年に誕生したのが「新宿遊郭」で、二丁目界隈の妖土の歴史はここから始まるようだ。

■伝説的なゲイバーとそこに出入りしていた国内外の著名人も登場する

 さて、本書はこうした新宿の磁場の歴史を振り返りつつ、ゲイバー・ゲイカルチャーの歴史にもフォーカスをしていく。

「夜曲」「ユーカリ」「イプセン」「ブランスウィック」etc. これらは戦前からあったゲイバーのルーツだが、いずれも場所は二丁目ではない。本書には、他にも多数の歴史的なゲイバーと、出入りしていた国内外の著名人たち(三島由紀夫、美輪明宏、アラン・ドロン他)のエピソードなども登場する。

 こうした点の数々が、線で結ばれつつ、やがて1960年代に入ると、ゲイカルチャーの発信源は二丁目という磁場に引き寄せられていくのである。

 そこには「ハッテン場」と呼ばれる、ゲイカルチャー独特の出会いと行為の場との関係性や『平凡パンチ』など、60年代に花開いた男性向け雑誌の影響もあったようだ。

 本書はゲイの歴史を学ぶ上でも、新宿という街研究においても、貴重な資料と論考を提供してくれる。つくづく思うのは、性の多様性はじつは古い時代からあったということ。そして時代はいま、そうした人々の多様な本能を受け入れつつある。本書もさらなるLGBT理解に対して、一役買ってくれる1冊である。

文=町田光