社会人未経験でも27歳で年収700万円! 適応障害で不登校だった女性が超人気Webライターになれたワケ

ビジネス

公開日:2019/8/20

『不登校だった私が売れっ子Webライターになれた仕事術』(山口恵理香/自由国民社)

「適応障害」で不登校だった女性が、27歳で年収700万円を達成する超人気Webライターに──これはフリーランスのWebライター・山口恵理香氏が歩んできた人生の物語である。

『不登校だった私が売れっ子Webライターになれた仕事術』(山口恵理香/自由国民社)は、「適応障害」により不登校になってしまった過去を持つ著者が、人脈やスキルを持たないままWebライターになり、今では月300本の記事を執筆するまでになったその道のりを綴った1冊だ。

中学校でのいじめから14歳で「適応障害」、そして不登校に

 著者は中学校のクラスにうまく馴染めず、そのうちいじめを受けるようになってしまった。そのストレスから、14歳で「適応障害」の診断を受けた。「適応障害」は、新しい環境にうまく適応することができず、うつなどの症状が現れ、社会生活に支障をきたしてしまうものだ。

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 著者はその診断を受け不登校になり、自分で見つけたフリースクールに通うことになる。そのフリースクールは不登校生の受け皿となる場所で、自分をきちんと気にかけてくれる園長先生の存在に支えられた。その後、不登校生でも通うことのできる高校に進学。クラスメイトと群れるのが苦手な著者は教室ではなく「職員室」に通いながらも、大学入試のために猛勉強し、一般入試で見事合格することができた。

 大学時代にボランティア活動にやりがいを見出し、就職先としてNPO法人に入るも馴染めず、わずか3カ月で退職。この先の転職活動に不安を覚えるも「フリーランスならマイペースに働ける」と気づいた著者はWebライターとしてデビューした。

フリーランスとして彼女が成功できた理由は…?

 彼女がそこから、今の売れっ子Webライターにまで成長できた理由は何だったのだろうか? 自分の記事を印刷したものを片手に多くの会社に営業をかけ、他の人とは違う自分ならではのライティングの魅力をアピールしたというが、そういったアプローチを積極的にできた原動力はどこにあったのだろうか?

 その要因は、彼女が自分の価値観を大事にしていた点にあったかもしれない。実は、彼女は大学1年生のころから「Thank youノート」なるものをつけている。病気で思うようにならない日々でも、その中にある小さな幸せを書き出し、それに対する感謝を綴るノートである。日常をよく見れば、自分なりの幸せが眠っているものだ。それを文字にすることで、自身を安心させる「宝物」のようなものを積み重ねてきた。

 また、群れるのが苦手な彼女は、女子会などの集まりは避けたり、定期的に人間関係を見直したりしている。自分の心を殺すような表面的な人間関係は断ち切り、メンタルを優先した居心地良い環境を保つことを心がけている。月経のリズムに合わせてゆっくり起床してもよい日を作ったり、調子が悪い日は「最低限の作業ができればOK」と考えるようにもしている。

 彼女は今でも適応障害とともに生きているという。それでも、日々の幸せをひとつひとつ見つめて感謝し、自分の体と心を大切にして、無理をせずに居心地の良い場所を作ってゆっくり過ごす。そんな自分の価値観を大事にする姿勢がきっと、今の彼女を作りあげているのだろう。

文=ジョセート