ナチスの制服を「カッコいい」と言えない理由は? 「カッコいい」をめぐる“格好だけではない”深い話

文芸・カルチャー

公開日:2019/8/18

『「カッコいい」とは何か(講談社現代新書)』(平野啓一郎/講談社)

 近年、若者世代が使う「ヤバい」の猛攻により、やや弱体化しつつあるものの、やはり全世代が無意識的に使うワードが、「カッコいい」だ。

 誰もが気づいているだろうが、「カッコいい」は非常に奥深い。なぜなら、通りすがりの人のファッションやルックスを評した、刹那的で一過性の「カッコいい」もあれば、「よし、俺も彼のように生きよう」など、誰かの人生の大転換となるような、持続性があり恒久的とさえ思える「カッコいい」もあるからだ。

 さて、いったい「カッコいい」とは何なのか? その問いをそのままタイトルにして探求を深めるのが平野啓一郎氏の『「カッコいい」とは何か(講談社現代新書)』(講談社)だ。

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 新書ながらも480ページのボリューム満点の本書では、カッコいいの正体をめぐり、古今東西のさまざまなカルチャー(音楽、アート、ファッション、ダンディズムなど)の歴史、さらに言語・文学・哲学史、政治・経済史、宗教・戦争史などがひもとかれていく。

■ナチスの制服を「カッコいい」と言っていいのか?

 こう紹介するとやや堅苦しそうな印象があるかもしれないが、本書には随所に平野氏自身にとってのカッコいいアイコン(マイルス・デイビスや、映画「仁義なき戦い」シリーズなど多数)が登場したり、現代のカルチャーとの関連付けがされていたりと、時事エッセイ的な側面も持たせることで、興味深く読み進められるよう書き方にも工夫がなされている。

 なにより、さまざまな歴史考察を読み進めると、「へぇー、そうだったんだ!」という知的好奇心を掻き立てられる発見も多く、著者の博学的な視点の広さと深さに驚かされるという楽しみもある。

 例えば本書には、「ナチスの制服を『カッコいい』と言っていいのか?」という考察がある。著者は、欅坂46が2016年10月に行ったコンサートで、ナチスの制服に酷似した衣装を着たことが、世界的な炎上につながったことなどに触れながら、レミー・キルミスター(ロックバンド、モーターヘッドのリーダー)を登場させる。キルミスター氏はナチスの制服を着崩して使い、その姿を伝記映画などで公開した人物だ。

 著者はキルミスター氏のインタビューを引用し、ナチスの軍服を着るのは装飾やデザインが気に入っているからであって「ナチスに傾倒しているからではない」という価値観を紹介する。つまり、表面的なカッコよさだけを重視する考え方だ。さらに、ナチスの制服が外見上カッコいいと受け取られる理由として、そのデザインにあたったのが、現在でも人気のブランドでもあるヒューゴ・ボスであることを、その歴史とともに明かしている。

■「しびれる」「鳥肌が立つ」など生理的興奮を伴うことが、カッコいいの前提条件

 著者は、キルミスター氏の生きざまにはカッコいいと感じるものの、この表面的なカッコよさだけを重視する考え方には「当惑を覚えた」と記している。なぜならカッコいいとは、「外観と内実との一体化が重要」とする、本書における考え方とも相反するからだ。

 本書が提案するのは、その対象を観たり感じたりした際に、「しびれる」「鳥肌が立つ」といった生理的興奮を伴うことが、カッコいいの前提条件である、とする考え方だ。

「体感できるカッコいい」には、表面的な要素だけでなく、内実への深い賛同・共感が不可欠となるのである。

 だがなぜ本書は、ここまで深く「カッコいい」を探求するのだろうか?

 ナチスつながりであげるならば、ともすれば大衆が政治利用される「カッコいいの悪用」というケースもあるからだ。著者は、ナチスが巨大になった背景のひとつにプロパガンダ映画などの事例もあげ、虚像として作られたカッコよさ・憧れが背景にあったのではないかと推察している。

 さらに、現在音楽コンサートでも必須の音響設備PA(Public Address)技術のルーツは、さかのぼればヒットラーの街頭演説をカッコいいものに演出するための技術だったことを指摘している。

■「カッコいい」を考えることは、自分の生き方を考えること

 もちろんこれ以外にも、カッコいいを探求する意義は多数ある。著者によれば、自分のカッコいいとは、「個人のアイデンティティと深く結びついた意味」があり、「カッコいいという価値観と無関係に生きている人間は、今日、一人もいない」と記す。そして、「『カッコいい』について考えることは、即ち、いかに生きるべきかを考えること」なのだという。

 他者と共感する楽しみもあれば、時には意見の相違から殴り合いの喧嘩にさえも発展するのが「カッコいい」という価値観だ。ぜひ、本書を通じて著者と一緒にこの価値観をめぐる、時間、国境、そしてジャンルを超えた、果てしなく長い旅路へと出発してみてはいかがだろうか。

文=町田光