怖いだけじゃなく思わずクスッと笑わされる! 芥川賞作家・藤野可織の“幽霊探し”エッセイ

文芸・カルチャー

公開日:2019/8/30

『私は幽霊を見ない』(藤野可織/KADOKAWA)

 この世から何の未練も残さず去ることのできる人などいるわけがないのだから、世の中に無数の幽霊が潜んでいたとしても何もおかしいことではない。だが、幽霊は見える人には見えるし、見えない人には見えない。一度くらいは幽霊を見てみたいものだが、そう簡単にはいかないものなのか。

 芥川賞作家・藤野可織氏による初のエッセイ集『私は幽霊を見ない』(KADOKAWA)を読むと、幽霊に会うのは、なかなか難しいことなのかもしれないと思わされる。と、同時に、幽霊のもつ、恐ろしさや切なさ、そして、どこか可愛らしいその姿に魅せられてしまう。この作品は、怪談雑誌『幽』『Mei(冥)』で連載された怪談実話をまとめたもの。藤野氏が蒐集した怖い話や不思議な話がたくさん詰め込まれている作品なのだ。だが、本のタイトルの通り、藤野氏は「幽霊を見ない」。見たことがない。おまけに、いつでもどこでも怖がっている筋金入りの怖がりだという。しかし、好奇心は人一倍旺盛。出会う人出会う人に「何か怖い話を知りませんか」とねだりまくり、廃墟ホテルまで幽霊探しに出かけ、幽霊が出るというホテルに泊まってみたりするのだ。

 築120年の小学校の女子トイレで“四時ばばあなる老怪女”や“病院で死んだ三つ子の霊”が出ると噂になったこと。所属していたカメラクラブの部室の廊下に出現した首のない女。深夜誰もいないトイレで鳴らされたナースコール。友達の友達のお姉さんがイギリスで出会った、英語でまくしたててくる金髪の白人女性の幽霊。自分が殺される夢を見たその夜に自分と同姓同名の人が殺される殺人事件が起きたという話…。本当にこの本には、たくさんの怪談話が詰め込まれている。だが、背筋が凍るような話があるのはもちろんだが、思わず、クスッとさせられる話も少なくない。

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 怪談話を集めた作品であるはずなのに、どうしてこんなに笑わされてしまうのだろう。必死に怪談話を蒐める藤野さんの姿があまりにも愛らしく思えてしまうのもその一因だろうか。三島由紀夫や開高健の幽霊が出るという新潮社クラブに泊まった時には、ミーハー心を漲らせながら「三島由紀夫の霊が出るといいなあ」とワクワクして一夜を過ごすも、結局会えずにガッカリ。翌日、「二階は、スティーブ・エリクソンが泊まったことがある」と聞けば、スティーブ・エリクソンは亡くなっていないのに、生き霊も出るかもしれないと思い、「スティーブ・エリクソンでも大歓迎です」と念じながら眠りにつく。だが、それでも、藤野氏は三島由紀夫にも開口健にもスティーブ・エリクソンにも会うことはできなかった。「どうか藤野さんに幽霊を見させてあげてくれ。頼む」とどういうわけか読んでいるこちらまで念じてみたくなる。それほど、彼女は必死で、幽霊を探し、怪談を蒐集していく。ときに、「私は幽霊を見なくていい」というが、それでも、彼女は、幽霊を探さずにはいられない。もし、藤野氏が実際に幽霊に出くわしたとしたら、どんな風に描写してくれるのだろうか。そう思うと期待せずにはいられない。

「幽霊とは、生きているときに上げられなかった声」だと、藤野氏は言う。ひとつひとつの怪奇現象には、その裏に、きっと幽霊たちのたくさんの思いが秘められている(もちろん幽霊が無関係の場合もあるが…)。私たちは誰であれ今でも、上げられない声を抱えながら生きているから、こんなにも幽霊を追い求めるのだろう。藤野氏の幽霊探しの旅に、ぜひともあなたも同行してみてほしい。幽霊という存在の魅力に引き寄せられるのはもちろん、藤野氏の懸命な姿にも、あなたは引き寄せられてしまうに違いないのだ。

文=アサトーミナミ