フジコ・ヘミングが14歳で綴った幻の絵日記! 彼女が描いた戦後まもない日本は――

文芸・カルチャー

公開日:2019/8/31

『フジコ・ヘミング14歳の夏休み絵日記』(フジコ・ヘミング/暮しの手帖社)

 絵日記といえば、夏休みの宿題の定番。誰もが一度は描いた経験をお持ちでしょう。それは、世間に名が知られている著名人も同じ。『フジコ・ヘミング14歳の夏休み絵日記』(フジコ・ヘミング/暮しの手帖社)は“魂のピアニスト”と呼ばれるフジコ・ヘミングさんが、14歳の夏に綴った絵日記をまとめたものです。ところが、これは宿題として描かれたものではありませんでした。

“私はバカじゃない。絵も文章も書ける。それを見せたくて、宿題でもないのに一生懸命描いたのが、この絵日記です。”

 スウェーデン人の父と日本人の母の間に生まれたヘミングさんは、すぐに答えを求めようとする日本の学校教育に苦手意識を持っていました。この絵日記は、本当の自分を知ってもらうために自主的に描いたというわけです。確かに、実力を見せるには十分すぎるほどのセンスあふれるタッチと色合い、14歳とは思えない美文字。完成したものを見た先生が、「度肝を抜かれた」というのもうなずけます。

「夕方 エチュードの7番を弾いてみた。(中略)案外やさしくてきれいな曲でした」(8月2日)
「中々晝食(ちゅうしょく)が出来ず ピアノばかりやれやれと言はれて少々参りました。」(8月11日)
「音を間違へると言って叱られ、シャクにさわった。」(8月31日)

 毎日欠かさず記録されているのは、やはりピアノのこと。うまく弾けないときの内省ぶりなど、現在の活躍につながる努力の積み重ねを感じます。ピアノの師であり、世界的ピアニストのレオニード・クロイツァー氏から、「世界中の人々を感動させるピアニストになる!」と当時すでに才能を見込まれていたヘミングさんですが、ピアノ講師の母にはちっとも褒められなかったのだそう。「大嫌いで大好き」な母に注意されるたびついイラっとしてしまう、いかにも14歳らしいエピソードには、“奇跡”といわれる演奏者もひとりの少女だったのだと親近感を覚えます。

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 絵日記が描かれたのは、終戦まもない1946年。物資も食料も十分にはない中、栄養が足りなかったり水虫に苦しんだりするなど辛い話題も語られているものの、お人形を作ったこと、配給のこんにゃくで「やきやき」(溶いた小麦粉にネギを入れて焼いたもの)を作ったこと、弟と一緒に寝ている母の顔に落書きしたことなど、楽しい日々についても多く綴られています。しかし、本当は炎天下の中、配給をもらうため半日も歩き続けて「心底うんざりする日々」と感じていたり、戦争で受けた心の傷で辛い思いをしていたりというバックストーリーも。過去を振り返る本人の解説と合わせて読むと、絵日記の表面上には描かれなかった、リアルな当時の暮らしや想いも垣間見ることができます。

 本書は全編カラーで、巻末には母から譲り受けたというショパンの「バラード第1番」の楽譜など貴重な資料写真も収録されており、ファンならずとも見応えがあるもの。もちろん、読めばフジコ・ヘミングさんのピアノが聴きたくなることは言うまでもありません。大変な時代でも、楽しいことを見つけながら、ひたむきにピアノと向き合って生きてきた彼女の奏でる音色とともに、本書を開いてみてはいかがでしょうか。

文=吉田裕美