電車内で化粧、ブッフェでガツガツ食べる…「恥ずかしい」のボーダーラインはどこにある?

社会

2019/9/5

『センス・オブ・シェイム 恥の感覚』(酒井順子/文藝春秋)

「恥」をテーマに他者との関わり方について描くエッセイ集『センス・オブ・シェイム 恥の感覚』(酒井順子/文藝春秋)は、普段なかなか意識することがない恥の感覚について、一歩立ち止まって考える機会を与えてくれる。

 恥の感覚が合う人同士は仲が深まりやすく、合わない場合はどこかで齟齬が生じやすいという。それは、たとえ夫婦間のように近い関係においても例外ではない。著者の友人のある女性は、ミュージカルが好きなことがきっかけで結婚したものの、恥の感覚差に悩んでいたそうだ。

「ブッフェのレストランとかに行くと、『元をとらなきゃ』とか言って、とにかくガツガツ食べる。その割に、最後には大量に残したりするのよ。その感覚が、本当に恥ずかしくてたまらないの」

 自分のプライベートな生活をSNS上でどこまで公開できるかというボーダーラインも、「晒す」という表現がよく使われる通り、恥の感覚によって決まるところが大きい部類のトピックだろう。ニュースサイト「文春オンライン」で反響が大きかったという「中年とSNS」は、自分自慢の仕方を巡るテクニックや、とめどない自慢(自慢バブル)を投稿することはもとより、それらを見るのもどこか恥ずかしいということが書かれている。

 恥の感覚で行動が左右される事柄はさらに多岐にわたる。本書のネタとなっているシチュエーションをいくつか以下に挙げてみたい。

・ボウリングでストライクが出た時にどうリアクションするか
・本にカバーをかけたいか
・電車の中で化粧できるか
・人前で、他人に堂々と席を譲れるか
・カラオケで先陣を切って歌えるか(そもそもカラオケに行けるか)
・クールジャパンや東京オリンピックなど、自国のいいところを打ち出そうとするノリに乗れるか

 筆者も、本書中でボリュームを割いて挙げられている「電車の中における恥の感覚」について思いを巡らせてみた。日本で暮らしていると、電車の中で電話することはご法度のように感じる。しかし、近隣諸国で電車に乗ると、車内はガヤガヤしていることが多く、電話する人を見かけることも少なくない。

 ある時、ブータンから旅行に来ていた知り合いと帰宅ラッシュの地下鉄に乗ったとき、「何で車内がこんな静かなの?」と聞かれた。ブータンにはそもそも電車がないため長距離移動はバスが一般的だが、乗り合わせたまったく面識のない人とでも行き先や世間話を話すそうだ。他人が車内で電話していても気にすることはないという。このとき私は、公共の空間における自分(たち)の「恥ずかしい」という感じ方が必ずしも絶対ではないことを知った。これは「善悪」「快・不快」という哲学的、倫理的なテーマにもつながるものだろう。

 このように、掘り下げると難しくなりがちな「恥」を巡る議論を、本書はユーモアを豊富に交えながら読者に伝えてくれる。子どもが大好きな「あの言葉」に関して、著者が友人から感銘を受けた言葉はこう記録されている。

「私も昔は、『うんち』としか言えなかった。そんな自分がダサいなと思って、ある時から割り切って『うんこ』って言うようにしたの。そうしたらすごく清々しいっていうか、大人になったような気分。『うんこ』でも何でも、言葉っていうのは自信を持って言えば何も恥ずかしいことはないの」

 恥ずかしがらずに恥に目を向けることは、自分の中のグレーな領域をはっきりと色付けすることにもつながる。本書はそんな考え方の手引きとなる1冊だ。

文=神保慶政