ユニクロが終わらせたファッションによる自己表現――“くらし”が重視される時代に現れたユニクロのメッセージ

暮らし

2019/9/10

『おしゃれ嫌い 私たちがユニクロを選ぶ本当の理由(幻冬舎新書)』(米澤泉/幻冬舎)

 今や「国民服」と言えるユニクロの服。おそらくあなたのクローゼットにも1着はあるのではないだろうか? 今でこそ「ユニクロを着てれば何かと安心」とオシャレアイテムになっているけれど、ひと昔前は「ユニクロを着ているのがバレたら困る」と思われていたもの。「ユニバレ」「ユニ被り」(注:「ユニクロであることがバレる」「他人とユニクロ服が被る」の意)という言葉が、恥ずかしさを含む否定的なニュアンスで使われていたりもした。確かにそれが、いつの間にかすっかり逆になっている。これって、変わったのはユニクロなのだろうか? それとも社会なのだろうか?

 気鋭の社会学者がユニクロから社会を読み解く『おしゃれ嫌い 私たちがユニクロを選ぶ本当の理由(幻冬舎新書)』(米澤泉/幻冬舎)では、ユニクロ以前・以後ではファッションの「常識が大きく変わった」のだと指摘する。

 ユニクロ登場前の日本人に人気があったのは、何といってもDCブランドだ。「ファッションは自己表現」とばかり、多くの人がデザイン性のあるエッジィなファッションに身を包み一大ブームとなっていた。だがそんなブームが終焉し「着る物より着る者」が重視されるようになると、人々の目はベーシックな「普通の服」に向き始める。それがユニクロの登場した1980年代の状況だった。そして90年代後半にもなると破竹の勢いでユニクロは日本中に店舗を拡大。多くの人が知る存在となったが、とはいえ当時はまだ「安いから」という理由でユニクロを選ぶ人が圧倒的だった。

 ターニングポイントは2000年にユニクロが打ち出した「人間を区別してきたあらゆるものを超える、みんなの服」というコンセプトかもしれない。そこから生まれた「シンプル」で「機能的な服」は、フリースを筆頭にブレイク。安さだけではなく、人々はその服そのものが持つ良さに惹きつけられるようになったのだ。

 著者は当時の状況を「DCブランドブーム、それに続くインポートブランドブームに沸いたバブルを経て、着ることにすっかり疲れ果てた人々の前に、ユニクロはまるで救世主のように現れた」と振り返る。書名に「おしゃれ嫌い」とあるように、まさにおしゃれに疲れてうんざりしていたところに、あれこれ気にしなくても選べば正解が出せるものとして、ユニクロがピタリとハマったというわけだ。

 そして現在、画期的な機能性と普遍的なデザイン性を大事にし、「生活をよくするための服=ライフウェア」を提唱するユニクロが売るのは、服ではなくライフスタイルといった「くらし」だと著者。それに呼応するように人々の意識も「ユニクロでいい」から、「ユニクロがいい」へと変化してきたという。

 本書はこうしたユニクロの変遷とその存在を通じて、現代における「服を着ること」「消費の変化」「欲望の在り方」を明らかにしていくという興味深い1冊となっている。とにかくたったひとつの企業の存在がどれほど社会に影響を与えたのか、その大きさにはあらためて驚かされることだろう。

「服」という誰もが必要なものだからこそ、その選択には大衆の無意識の変容がよく見えてくるのかもしれない。そしてそれは丸ごと「平成」という時代を饒舌に語るのだ。

文=荒井理恵