目覚めると18年分の記憶がリセットされていた! 交通事故で失った人生を再構築した実話

暮らし

公開日:2019/9/16

『記憶喪失になったぼくが見た世界(朝日文庫)』(坪倉優介/朝日新聞出版)

 記憶喪失というと、記憶の中の特定の人物や経験が部分的に抜け落ちてしまう状態を想像する人は多いのではないだろうか。筆者もそうだった。しかし、生まれたときから積み重ねてきた習慣や感情までもが消えてしまったら? 『記憶喪失になったぼくが見た世界(朝日文庫)』(坪倉優介/朝日新聞出版)はそんな実体験を書いている。

 実ははじめの辺りを軽く読んだところで「本当のことだろうか?」と疑問を持つこともあったが、合間に差し込まれる“母の記憶”が、著者である坪倉優介氏自身の感じ方や行動の説明を補完している。この構成によって坪倉氏の状況がわかりやすくなっていて、次第に引き込まれて一気に最後まで読んだ。

 坪倉氏が記憶を失ったきっかけは交通事故だった。大学1年生のときスクーターで走行中、停車していたトラックに激突する事故だったが、家族が病院に駆けつけてみると目立った外傷はない。そのことで当初は事の重大さを想像できないでいたが、意識が戻ってからの変化に驚くことになる。坪倉氏は家族をまったく覚えていないのだ。

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 本人にしてみれば知らない他人が自分の目の前にいて話しかけてくることに腹が立ったのだろう。「なんや、このオッサン、オバハンは」「うるさいぞ」などと暴言を吐いて暴れたかと思うと高熱を出して何日も寝込んでしまう。そして次に目覚めたときには、記憶がないばかりか人格まで変わっていたのである。当時の驚きは、坪倉氏の母親によってこのようにつづられている。

熱が下がると、今度は突然、ぱたっと大人しくなってしまいます。暴れていた優介が嘘のようです。すごく優しい人になってしまったのです。「すみません。ありがとうございます」という言葉が多くなってしまいました。

 事故前の坪倉氏は、どちらかといえばやや怖い面を持つ性格であったそうだ。髪型などを見ても、やんちゃな人だったことがうかがえる。それが真逆の性格になり、本人ですら昔の自分の写真やエピソードに触れて驚いてしまうほど。そしてこのときから坪倉氏の人生はゼロから始まることになるのだ。

 実は周囲の人間を覚えていないだけではなかった。寝ること、食べること、身の回りのものについてもすべてわからない。つまり、生まれてから覚えたことや身につけたことのほとんどがわからなくなっていたのだ。

 坪倉氏の記録を読んでいると、生まれたときから目にし、触れてきたものを記憶として積み重ねることがどれだけ貴重であるかに気づかされる。お風呂は温かいお湯に浸かるものという概念がない坪倉氏は、冷たい水でも入ってしまい母親を驚かせる。お米やジュースなども本人にとっては初めて触れるものであり、新鮮なのである。お金についても何のことかわからない。母親に教えてもらいながら、少しずつ生活に必要なものを新しい知識として身につけていく。

 だが、外見は18歳だ。乳幼児の頃からの積み重ねを繰り返せばいいという単純なものではない。事情を知らない人にはおかしな目で見られることも多かったのだろう。家族の目を盗んで家出したり、何をしたらいいかわからずにぼーっと過ごしたりという日々が続いていく。

 復学してからも記憶が全面的に戻ることはなかったが、そこから坪倉氏は新しい人生を作り上げ、40歳を超えた今は着物の染色を中心に、さまざまな創作活動をされている。本書に書かれている本人の記録は、はじめはひらがなが主だが、読み進めていくうちに次第に漢字の割合が増えて大人の文章に変わっていくのも面白い。

 母親を中心に、家族全員がしっかりサポートする。ときには辛さに負けそうになることもあったようだが、愛してくれる家族がいたからこそ、坪倉氏は新しい人生を作り上げることができた。本書を読んで感じたのは、誰よりも自分という人間を知って理解してくれている、家族という存在の素晴らしさだった。

文=いしい