関東芸人はなぜM-1で勝てないのか? 「ヤホー」では絶対に調べられない熱き男・ナイツ塙宣之の漫才論

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更新日:2019/9/21

『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』(塙宣之/集英社)

 1年に一度、日本で一番おもしろい漫才師を決める「M-1グランプリ」。多い年では4000組以上の漫才師たちが舞台のスタンドマイクにひしめく。たった数分間で目の前のお客さんを爆笑させ、審査員を唸らせようと声を枯らしてネタを披露する。彼らの躍動に1年間の想いだけでなく、夢と人生をかけて挑む姿がありありと見えるので、この番組が放送される日はお笑いファンならずとも画面に注目する。

えぐいくらい、悩みました。霜降り明星か、和牛か。

 これは『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』(塙宣之/集英社)の冒頭の一文、人気漫才師ナイツ・塙宣之さんの本音だ。塙さんは2018年「M-1グランプリ」決勝戦の審査員を務め、最終決戦3組の中から日本一の漫才師を決める1票を投じた。

 この年の漫才のレベルはとても高かった。発想力のジャルジャル、漫才というより作品を魅せた和牛、塙さん自身が「吉本の宝」とまで言い切った霜降り明星…。どのコンビが優勝してもおかしくなかった。誰もが彼らのネタに腹を抱えて笑った。それでも優勝者はたった1組。――そして選ばれたのが、「芸人としての強さ」を持つ霜降り明星だった。

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 本書は、塙宣之さんがM-1の歴史を語り、決勝戦に進出した漫才師たちを分析する漫才論だ。ご本人は「M-1で優勝できなかった男の言い訳」と評するが、それは違う。読めば分かる。お笑いに対する熱い想い、「ウケる」ために長年培った技術と哲学、もう永遠に会えない恋人のような「M-1」への切ない気持ち。片手で持つには重すぎるほどの漫才愛がぎゅっと凝縮されている。これぞ「ヤホー」では絶対に調べられない漫才バイブルだ。M-1挑戦資格のある若手漫才師が読むべき本だ。読み進めるほどページをめくる手が速くなった。

 塙さんは本書でこのように言い切る。「漫才界の勢力図は今も昔も、完全な西高東低なんです」。第1回大会からM-1を見続けている人ならば感じていることだろうが、どうもこの大会は関西勢のコンビが有利らしい。

 M-1が一度休止するまでの、2001年から2010年までの10年間で、非関西弁のコンビが優勝したのはわずか3組。アンタッチャブルとサンドウィッチマンとパンクブーブーだけだ。残りの7組はすべて関西勢であり、フットボールアワーを除く6組はすべて「しゃべくり漫才」で王者になった。決勝戦進出だけで考えると、もっと如実に表れるかもしれない。なぜ関東芸人はM-1で勝てないのか?

言ってしまえば、漫才の母国語は関西弁なのです。

 関西人の多くはボケとツッコミを会話のマナーとして身につけていて、日常会話にテンポ感がある。彼らは一般人でさえおもしろい。このバックボーンが関西の漫才文化を支えている。

 なにより関西弁という語調が圧倒的に有利だ。日本のどの方言よりも喜怒哀楽を見事に表現し、凄まじいスピードで話しても観客を置いていくことがない。そして今や日本中で通じる「なんでやねん」という王道のツッコミ。関西弁には東京近辺の柔らかい言葉にない力がある。言葉の応酬で観客の腹筋に訴えかける関西勢の「しゃべくり漫才」が有利なのは当然だ。

 だからこそ関東芸人が闘う方法がある。母国語を超える新しい漫才の発明だ。ナイツは、ボソッと言う「小ボケ」を数分間に数十個入れる「小ボケ漫才」を発明した。ハライチは、岩井さんのボケに澤部さんがひたすらノリ続ける「ノリボケ漫才」を発明した。南海キャンディーズは、しずちゃんのボケを山里さんが“子守歌のようにあやす”ツッコミの革命を起こした。

 もう1つの方法が「シンデレラストーリー」だ。典型的なのが、敗者復活戦から奇跡の優勝を果たしたサンドウィッチマン。彼らが決勝戦の舞台でネタを披露するとき、誰もが「このコンビは何者?」と思った。ところが次の瞬間、完成度の高いコント漫才を見せつけられ、魅了された人々はみな拍手喝さいをおくった。多くが優勝を願った。M-1は、ときにお笑いだけでなく“ドラマ”を生み出すのだ。

 2019年もM-1が行われる予定だ。今年はどの漫才師が決勝進出するのか。どんな新しい発明が見られるのか。やはり関西勢のコンビが王者になるのか。そして塙さんは今年もM-1の審査員席に座るのだろうか。本書を読むと、漫才師たちの熱き声とお腹を抱えて笑う瞬間が待ちきれなくなる。

 視聴者にとってM-1は年末の風物詩。セミが地面に転がって、夜には秋の虫が鳴いて、2019年も残り4カ月を切った。そうか、もう今年もそんな時期か。

文=いのうえゆきひろ