「母ちゃん今日、父ちゃん殺したよ」――小説『ひとよ』で描かれる壊れた家族の行き着く先は? 映画は佐藤健主演!

文芸・カルチャー

公開日:2019/10/1

 桑原裕子さんの戯曲を小説化した作品『ひとよ』(長尾徳子:著、桑原裕子:原作/集英社文庫)に登場する家族は、長い夜に迷い込んでいる。

『ひとよ(一夜)』というタイトルを見て思い出したのは、暗い夜を終わらせる太陽の光の話だ。地表に届く太陽光は、約8分前に太陽から放たれたものだという。今、なんらかの原因で太陽が消滅すれば、8分後には永遠の夜が訪れる。落ち込んでいる人に、「明けない夜はない」と声をかけるのをよく聞くけれど、この世界には、暗く、長く、終わらない絶望が存在し得るのだ。

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『ひとよ』(長尾徳子:著、桑原裕子:原作/集英社文庫)※期間限定ダブルカバー

 作品の舞台は、とある地方都市。地域に根ざしたタクシーの営業所に、稲村家の次男・雄二が帰ってきた。物書きを目指して上京した彼だが、実際に書いているのはインタビューなどの書き起こしでしかない。どこにいてもできる仕事だ。しかし今は、それすらやる気が起こらなかった。吃音の治らない長男の大樹も、寒空の下でぼんやりしている。美容師になりたいという夢を諦めた長女の園子も、泥酔して帰ってきた。今日は、年に一度の特別な日──母が殺した、父の命日だから。

 発端は15年前、冷たい雨が降る夜のことだ。それぞれに傷を負った稲村家の子どもたちに、母・こはるは告げた。「母ちゃん今日、父ちゃん殺したよ」。暴力を振るう父から、子どもたちを守ってきた母は続ける。これから警察に行き、父を撥ねたと自首してくる。出所しても、ほとぼりが冷めるまでは帰らない。だが、「十五年経ったら、母ちゃん戻ってきますから」。母は、行ってきますと晴れやかな顔で出かけていった。

 一夜にして、稲村家の人々が置かれた状況は激変した。もう父に殴られて死ぬ心配はない。しかし、母なき家に残された子どもたちは、周囲におかしな目で見られることになった。母の行動は、自分たちを愛するゆえだとわかっている。が、母は前科者になり、兄妹たちは前科者の家族になった。3人の子どもたちは、事件の影響でそれぞれの内側についた傷を、癒せないまま大人になった。

 そして、あの一夜から15年がすぎた明け方のこと。事件以来、自動車の運転ができない稲村家の子どもたちにかわって母の会社を守る従兄が、「ガレージの奥に人がいる」と言う。母が帰ってきたのだろうか、いや、まさか。かくして、ガレージにいた者は……。

 朝を迎えようと思えば、どんなに長く暗くとも、夜の中に居続けるしかない。春を待つつぼみのように、たとえ強い風が吹いても、寄り添い、しがみついて耐えるしかないのだ。家の中の出来事は、近隣にはわからない。各々が胸に秘めたものは、他人にはわからない。誰もがひとりで眠りにつく夜、その闇のうちに起きたことは、決して他者とは共有できない。だからこそ、暗がりで歩み寄ることのできる関係は、互いにたしかな温みを与える。どんなに歪な形でも、家族との、愛する者との関係は、寒い夜を越える“よすが”となる。

 2019年11月8日(金)には、戯曲を原作とする佐藤健さん主演の映画『ひとよ』が全国で公開される。家族とは、絆とは、本当の再生とはなにか? 難解なテーマに真っ向から挑む物語とラストシーンは、現代という暗闇を生きるわたしたちにとっての、一条の光となるだろう。

文=三田ゆき