凶悪犯罪に手を染める少年少女には共通点が――。虐待された彼らはなぜ事件を起こしたのか?

社会

公開日:2019/10/7

『虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか』(石井光太/平凡社)

 凶悪な少年犯罪に対して、厳罰化を求める声が強くなって久しい。そのような世論に応える形で2014年には少年法が改正され、18歳未満の少年に対する有期懲役の上限が15年から20年に、不定期刑も5~10年から10~15年に引き上げられた。

 もっとも、一般的な世間の印象とは違い、少年の凶悪犯罪の件数そのものは1950年代半ばから60年頃をピークに激減している。ただ、再犯の割合は少しだが増加している。つまり、全体的には減少していながら、同一人物が再犯する傾向にあるのだ。そして、再犯を繰り返す少年少女の多くは、幼少期に虐待を受けたり、劣悪な環境で育ってきたことが明らかになってきた。

 そんな、少年犯罪と児童虐待の因果関係について深く踏み込んだルポルタージュが『虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか』(石井光太/平凡社)だ。ノンフィクション作家で小説家でもある著者には、『43回の殺意』(双葉社)や『漂流児童』(潮出版社)など、本書と近接したテーマの著書も多い。

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■凶悪事件を起こす少年少女の育った環境にある共通点

 本書によれば、法務省の調査で、少年院に収容された者のうち、男子の約3割、女子の約5割が虐待を受けていたことが明らかになっている。さらに言えば、この数字はあくまで自己申告に基づくもので、実態はこれよりも多いと推測されている。また、虐待まで行かなくても、劣悪な家庭環境で育ってきた者は非常に多いという。

 たとえば、本書で扱われている女子高生ストーカー殺害事件を起こした少年の場合、幼少期から電気も水道も止まったアパートに、食べる物もないまま放置され続けていた。さらに、母親の恋人たちに、火であぶった鉄を体に押しつけられる、革のベルトで叩かれる、水風呂に放り込まれるなどの暴力を日常的に受けるという過酷きわまりない環境で育っているのだ。本書に登場する少年少女たちの育った環境は、どれも似ているのが悲しい。

 そして、そんな彼らは衝動を抑制することができずに残忍な犯罪に手を染め、共感力や想像力が欠如しているため、心から反省することができない。それどころか自分のやった行為をきちんと認識することもできないのだ。だから、再犯につながる。

■現代社会のシステムでは、少年少女の凶悪犯罪を防ぎきれない?

 彼らのことを非人間的だといって非難するのはたやすい。だが、自己抑制や共感力、想像力などは人間が生まれながらに持っている能力ではなく、実は幼少期におもに親からの教育によって後天的に獲得する能力だという。それが、教育を受けるどころか、虐待によって心の発達を阻害されてしまっているため、彼ら自身が理解不能の“困惑”を抱えることになっているのだ。

 もちろん、本書でも明言されているように、虐待を受けた子どもが全て犯罪に手を染めるわけではないし、虐待されていたからといって罪が許されるわけでもない。また、犯罪にあった被害者や残された遺族の悲痛さも忘れてはいけないだろう。本書では被害者遺族たちが置かれる悲惨な状況についても章を割いて、しっかりと記されている。

 児童虐待と凶悪犯罪の連鎖を、どうすれば解決することができるのか――その答えは簡単には出ない。ただ、ひとつだけはっきりしているのは、現在の少年法や少年院、矯正教育などの制度が、少年の凶悪犯罪や再犯を防ぐことに、役に立っていないという事実だ。

 あえて言うならば、本来これは司法だけでなく医療や社会福祉の分野としても解決すべき問題である。医療や社会福祉によってどこまできめ細かく、手厚くケアすべきか、できるかは、社会全体の(経済的、また精神的な)豊かさと国民の理解度次第だろう。

 本書にある「子どもは親を選べない」という言葉は重い。自分が今まで凶悪犯罪に手を染めずに生きてこられたのは、自分が正しい立派な人間だからではなく、たまたま環境に恵まれていたからかもしれない。そう考えてみることが、必要かもしれない。

文=奈落一騎/バーネット