失われた部位に痛みを感じる「幻肢痛」。摩訶不思議な“体の記憶”、そのメカニズムとは

社会

2019/10/19

『記憶する体』(伊藤亜紗/春秋社)

「幻肢痛」という痛みがある。何らかの理由によって四肢のいずれかを切断した人が、存在しないはずの部位に痛みを感じる現象のことである。この現象は、“記憶”が痛みを引き起こすのだ。一般にその痛みは壮絶なもので、当事者たちの日常を苦しめているという。

『記憶する体』(伊藤亜紗/春秋社)によると、“「動くだろう」という予測と「動きました」という結果報告のあいだに乖離が起き、この不一致が痛みとなってあらわれると考えられています”とのことだ。体は、神経生理的なレベル、心理的なレベル、運動制御のレベル、社会的なレベルなどさまざまなレベルから影響を受け、相互に作用し、すでに失われた幻の部位に痛みを生み出すことすらある。

 著者の伊藤亜紗氏は『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)や『どもる体』(医学書院)を著し、体と世界との関係を読者に示してきた。本書では、身体障害や難病、吃音、また先天的障害と中途障害といったさまざまな当事者を対象にインタビューを重ねている。伊藤氏の精緻なことばは、読者を奥深い領域に導いてくれる。

 本書で「読書」と「体」の関係について書かれているのはとても興味深い。

 あなたは「椅子」という単語を目にしたとき、何をイメージするだろうか――。

 座面や脚、背もたれの形状を視覚的なイメージとして思い浮かべた人は、もしかすると晴眼者かもしれない。ところが、盲目の読書家である中瀬さんのイメージは異なる。「椅子の背がカクカクきていたかとか、椅子を引いたときの重さとか、思い出しますね」。小説などでよく用いられる視覚的な描写は、先天的に視力を持たない中瀬さんにとって、未知の世界だ。読書を通じて見える人と見えない人との違いが明らかになってくる。

 伊藤氏によれば、それは“「感情移入」ならぬ「身体移入」と呼びたくなるような方法”だ。“登場人物が置かれた状況を理解するのにあたって、単に感情レベルでなぞるのではなく、その感情を生み出した感覚レベルでなぞろうとする”という現象が起きているのである。

 本書で目指すところを伊藤氏はこう記す。

“「記憶とは何か」という普遍的な問いから演繹して考えるのではなく、個々のケースを丁寧に記述することによって、記憶が可能にしている「その体のその体らしさ」に迫りたい”

 驚くべきことに、幻肢痛には、VRによる対処が見出され始めている。そのメカニズムについては、ぜひ本書を読んで知ってほしい。さあ、「その体のその体らしさ」に思いを巡らせてみよう。

文=えんどーこーた