貧困にあえぐ人々の根底に横たわる「心のガン」

社会

公開日:2019/10/21

『本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式』(石井光太/文藝春秋)

 貧困は自己責任なのだろうか? ネット上でたびたび起こる激しい生活保護バッシングやホームレスに対する自己責任論。バッシングのベースには、「自分の意思で自由に道を選択し続けた結果」その人の今の人生がある――貧困に陥ったのは怠惰で、社会性に欠け、お金を管理できない本人に問題があるからだ。そんな感情があるのかもしれない。だが果たしてそれは本当なのだろうか?

 国内外の「貧困」の現場を取材し続けてきたノンフィクション作家・石井光太さんが上梓した『本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式』(石井光太/文藝春秋)は、数々の衝撃的な事実とともに、貧困問題の本質をえぐり出す。ここではその一部を取り上げたい。

■「心のガン」ともいうべき「自己否定感」

 世界第3位の経済大国である日本。しかし十数年前に比べて「中流層」が激減して格差が広がり、日本は先進国のなかでも高い「相対的貧困率」を示す。相対的貧困とは、年間の等価可処分所得の中央値の半分以下、金額でいうと122万円未満(一人世帯の場合)の生活を強いられることを指すが、日本では15.7%(2015年統計)、つまり日本国民の7人に1人がこれに該当する。

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 本書では、これが「絶対的貧困」――日々の食べ物にも事欠くような途上国における貧困のあり方と比較されて、「餓死する人も、物乞いをする子供もいないんだから、日本の貧困なんてたいしたことない」と大きな誤解を呼んできたことを指摘する。

 現代日本ではたしかに貧困で物理的に餓え死にするようなことはないかもしれない。では日本の貧困のなにが一番問題なのか? それは他人との比較のなかで「心のガン」ともいうべき「自己否定感」をどんどん増殖させてしまい、人生が壊されてしまうこと。もっといえば人生を壊された人たちが、別の人生を壊すこともあるということだ。

 本書ではいくつか事例を紹介している。たとえば加瀬穂乃果(仮名)という小学生の女の子。彼女の母親は夜の仕事に就いていて、穂乃果を含めた3人の子どもを養っていた。シングルマザーなので生活が厳しく、いつも同じ服を着ていた穂乃果は「汚い」と学校でいじめに遭って不登校になる。母親は体調を壊して仕事をやめてしまったので、お金がなくて穂乃果は修学旅行にすら参加できなかった。中学へ進学したが、不登校だったため勉強についていけず、事情を知らない先生は「今まで何をやっていたんだ」と叱責。またも不登校に。その後も穂乃果に困難が襲いかかり、結果的に高校進学を諦め、フリーターとして生活することになった。やがて彼女は人生を後ろ向きに考えるようになり始める……。

 穂乃果がいつも同じ服を着ていたり、勉強ができなかったりすることは、無論、彼女自身のせいでも何でもない。シングルマザー家庭の困窮で、彼女は、自身ではどうしようもできないことでずっと学校でも、家でも心を傷つけられ、自己否定感に苛まれ、ついに社会のなかで前向きに生きる意欲を失ってしまった。

 彼女の人生は何か決定的な出来事があって壊れたわけではなく、日々のネガティブな要素の積み重ねのなかで、心を蝕まれてしまったことに注目してほしい。よく「チャンスをものにしろ」とか「夢を諦めるな」とか、キラキラした言葉を耳にするが、それをストレートに受け止めて行動できるのは、健全な心を持った子たちだろう。貧困のせいで「心のガン」が増殖した人には決して届かない。

 なかには心のガンの増殖で人を殺してしまう事例さえある。象徴的なのが2013年に起きた「三鷹ストーカー殺人事件」だ。事件を起こした池永チャールストーマスは、子どもの頃に拷問のような虐待を受けていた。母親はろくに家に帰らず、アパートの電気や水道は止まり、お腹がすけばコンビニのゴミ箱をあさって弁当を拾って食べるような環境だった。学校でもいじめを受けて、彼に居場所はなかった。高校卒業後、裕福な家庭で育ったAさんと知り合って経歴を詐称して付き合うが、しだいに自分が不釣り合いだと感じて自己否定感をこじらせた池永は別れ話をもちかける。だが別れたあとも池永は未練を持ち、Aさんをストーキングして脅迫する。一方的に妬みを増幅させて、池永は最終的にAさんを刺殺してしまう。

 貧困が醸成した「自己否定感」がどれほど凶悪で破壊的な結果をもたらすことがありうるのか、深く考えさせられる事件だ。石井氏は、劣悪な環境とメンタルとの関係を「貧困の方程式」として次のように示している。

 環境の悪さ(虐待、差別、いじめ)×劣等感(絶望、あきらめ)=自己否定感

 まさに、環境要因とネガティブなマインドは、掛け算のように増幅して「自己否定感」を生んでしまう。貧困は単に、その世帯の生活レベルの低さを意味するのではない。人生の道を自力で見つけられないほど心のゆとりを失わせ、精神を腐らせてしまうこともあるのだ。

■学校じゃ教えてくれないセックスの話

 貧困問題を考える上で、もうひとつ避けて通れないのはセックスの問題だ。貧困はさまざまな性産業や女性の搾取、性的虐待、児童買売春などとも密接な関係がある。健全な人たちにとってセックスは、パートナーと愛を確かめ合う素晴らしい行為だが、貧困にあえぐ女性にとって、時として社会の闇にどっぷりと飲み込まれる入り口になってしまう。

 本書の「第4講 学校じゃ教えないセックスの話」で記される内容は、あまりに痛ましいリアルな現実だ。蟻地獄のような負の連鎖に絡め取られてしまった少女の例をあげよう。

 津村晴美(仮名)はシングルマザーの母親のもとで生まれた。彼女の人生は筆舌に尽くしがたい。生活苦で母親の実家に身を寄せることになったものの、そこで同居していた叔父に性的虐待を受ける。学校でいじめに遭った経験も加わって、耐えがたいトラウマを抱えて、15歳で家出。しかしそんな少女が1人で生きていけるはずもなく、セックスをする代わりに不良の先輩の家に泊めてもらった。先輩の友人たちともセックスをさせられ、そこから援助交際に流れ、援デリに流れ、ついに警察に補導されて少年院に送られた。晴美は、貧困の負の連鎖を断ち切れない人生を送ってしまったのだ。

 さらに本書は、性犯罪被害に遭った女の子の約8割が「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」を抱えることを指摘している。するとしばしば、そのストレスを打ち消すかのように、売春をしたり、相手かまわずセックスしたりして悲惨な体験を繰り返す「トラウマの再現性」が起こる。「レイプは特にひどい体験じゃなかったんだ」と自分に思いこませるのだ。

 そんな彼女たちの心の叫びを理解することなく、身勝手な男たちは「この女の子はセックスが好きなんだ」と、都合よく弱みにつけ込んで行為に及ぶ。また、売春や性産業には暴力団や違法ドラッグも深くかかわり、何重もの社会問題が女の子たちの体を襲う現実がある。

■私たちは何ができるのだろう

 貧困がもたらす、自身ではどうしようもない出来事の連続に「自己否定感」を募らせ、容易に引き返せない場所まで歩んでしまった少年少女たちを、私たちはどう考えたらいいのだろう。果たして貧困は本当に自己責任なのか? 犯罪に走ったのは当人だけの責任なのか。

 私たちが真に考えるべきなのは、貧困の連鎖を止める方法だ。自身ではどうしようもない環境に追い詰められて、人生に絶望する前に、妬みをこじらせて犯罪に走る前に、負の連鎖を断ち切らなければならない。それは決して他人事ではなく、誰だっていつなんどきセーフティネットからこぼれ落ちて、困窮状態に陥らないとも限らない。私たちは1億総中流幻想のなかで生きてきたが、現実を知ると、日本はリアルに貧困に蝕まれていることがよく分かる。

 本書には、貧困の連鎖を止めるために何ができるか、地域のさまざまな支援策やソーシャル・ビジネスの最前線、さらに貧困の壁を打ち破った先人たちの知恵と勇気が力強く示されている。安易な自己責任論を脱却して、「私たちの手で貧困は終わらせられる。日本をもっと良い国にできる」そんな気持ちにさせてくれる希望の書だ。17歳に向けて書かれた講義本のスタイルだが、学生のみならず大人にこそ読んでほしい、私たちの未来をつくる出発点となる一冊だ。

文=いのうえゆきひろ