ミイラの技術を使えば「永遠の命」を獲得できる!? 日本にも存在するミイラ信仰とは

エンタメ

公開日:2019/10/24

『教養としてのミイラ図鑑 世界一奇妙な「永遠の命」』(ミイラ学プロジェクト/ベストセラーズ)

 人間はいずれ死ぬ――誰も抗えない、自然の摂理である。しかし、人類はこれまでの歴史で、“死を永遠に閉じ込める方法”を得た。そのひとつがミイラだ。

 世界各地のミイラにまつわる逸話をビジュアル込みで紹介する書籍『教養としてのミイラ図鑑 世界一奇妙な「永遠の命」』(ミイラ学プロジェクト/ベストセラーズ)を読むと、忌避されがちな人間の“死”について、さらに“生きる”ということの意味に、思いを巡らせたくなってしまうはずだ。

■ミイラとは人が“永遠の命”を手に入れるための拠点

 ミイラとはそもそも何か。本書では、1958年に刊行された法医学者・上野正吉による『新法医学』にならい、以下のように紹介されている。

advertisement

“死体の乾燥が腐敗による分解速度より早く、かつ高度に進むと、死体の乾物ができあがる。これがミイラであり、体水分が60%以下になると細菌類の繁殖が阻止され、さらに50%以下になれば完全に止まる”

 この定義によれば、ミイラは必ずしも意図的に作られるばかりではない。「中南米やエジプト、中国内陸部などの乾燥砂漠地帯では、死体がそのままミイラとなった例がいくつもある」と本書は解説するが、一方で、「防腐処理や乾燥技術を駆使して作られた、人工ミイラ」もあるという。

 では、なぜミイラにするのだろうか。本書が示すのは「死者がその死後も、個人的な“永遠の命”を得るための拠点」としての可能性だ。人類は過去から現在にいたるまで、不死や死者の復活、再生を願ってきた。生前には叶えられなかったことや苦しい病からも逃れる方法。そのひとつとして、ミイラに願いを託してきたと考察している。

■エジプトに伝わる『死者の書』とオシリス神話

 ミイラと聞くと、エジプトを思い浮かべる人も少なくないはず。本書によれば、エジプトのミイラの歴史は古く約3000年前からで、当時の人びとは死体を埋葬する方法のひとつとしてミイラと向き合ってきた。

 古代エジプトのミイラ作りには、その時代の死生観が大きく関係している。その手がかりとなるのが『死者の書』と呼ばれる古文書で、植物から生成したパピルス紙に記録されていたのは200以上の呪文。内容は「死者の祈りや訴えと、来世での困難な旅を助けてくれるよう願ったもの」だったという。

 そして、この『死者の書』をひもとく鍵になるのが、古代エジプトに伝わる「オシリス神話」である。本書で紹介されている逸話は、以下のとおりだ。

オシリス王は弟のセトと、イシスとネフティスという2人の妹を持つ。
名君としてエジプトを統治していたが、嫉妬した弟のセトはオシリスを箱に閉じ込め殺し、河に投げ込む。箱は地中海に流れ出て、シリア海岸のビブロスに流れ着く。イシスはそれをつきとめ、箱を取り戻し、復活したオシリスとの間にホルスという子供を産む。
しかしセトは再度オシリスを殺し、今度はその遺体を切り刻みバラバラにすると、エジプト中にまき散らしてしまう。
するとイシスは再び国中を歩き、オシリスの遺体を一片ずつ見つけて行く。
そのたびに見つけた場所に墓である神殿を建て、ついにかつて地上の王であったオシリスが、今度は死者の国の王になった――。

 この話で重要なのは「オシリスが死者の国で復活して、永遠の王として生きる」というポイント。このような神話をたよりに、古代エジプト人は「来世を信じ、時間や労力、財産も惜しみなく使い来世のために備えた」と本書は解説する。

■苦行に耐えた僧侶たちのミイラ「即身仏」

 じつは、日本にもミイラがある。生きながら土中に入り、永遠の肉体に魂を宿そうとした「即身仏」がまさしく日本におけるミイラで、かつて生前から何千日にもわたる過酷な修行を経て、自ら即身仏となろうとした僧侶たちもいた。

 即身仏は「僧侶や仏道の修行に一生を捧げた一世行人(いっせいぎょうにん)といわれる行者が、生身のまま土中に入って自らの肉体を永遠に残そう」としたもの。一説によれば、弘法大師空海が伝えた真言密教による「厳しい修行を積み重ねることで、その身が即ち仏になる」という教えが、以降の志願者に影響を与えたといわれている。

 修行は長きにわたるが、本書では以下のように即身仏になるまでの流れが示されている。

まず山にこもり、1000日や3000日といった長い期間の修行を積む。中心的な苦行は木食行(もくじきぎょう)で、穀物を断ち、草花や木の実だけを口にする。
やがて体が痩せ細り、死期が迫ると、土中に組まれた石室に生きながら入る。口にするのは水だけで、絶命するまで無言で祈り続ける――。

 その後、遺体は一定の期間を経て掘り起こされ、乾燥や手当てが施されたのちにようやく即身仏となる。僧侶たちが自ら志願したのは「肉体と魂の永遠性を獲得し、病気や飢饉に苦しむ民衆を救済する」ため、苦行に耐え、我が身を捧げていたのだという。

 さて、古今東西のミイラにまつわる逸話を集めた本書だが、さまざまなエピソードにふれると、人間の“死”に思いを巡らせると同時に、そこから逆説的に自分が“生きる”意味についても深く考えさせられる。永遠の命を手に入れようと作られたミイラという存在は、たくさんのロマンに溢れている。

文=カネコシュウヘイ