『バチェラー・ジャパン』史上最速の破局! 番組を壊した友永氏は、何がしたかったのか?【ネタバレあり】

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更新日:2020/5/7

『バチェラー・ジャパン』シーズン3最終回は、視聴者にとっては思ってもみない方向性での裏切りをもたらした回となった。

 バチェラーである友永真也さんが、最後のローズセレモニーでローズを渡した水田あゆみさんを1ヶ月でフって、最後の最後まで迷っていた岩間恵さんに交際を申し込んだ、というのだ。そして、いまお二人は付き合っている。

 結果として言えることは、今回「バチェラー・ジャパン」という番組を、バチェラー自身が壊したということである。

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「最後のローズを渡した女性との結婚」を賭けたバトルのはずが、彼だけは「知ったこっちゃない」とルール無視してローズを撤回。彼自身は「真剣に考えたからこそだ」と言いそうだが、彼が真剣に立ち向かったのは自分の欲望に対してであり、バチェラーという立場ではない。

 最初はSNSやレビューなどでも「最高のバチェラー」と呼び声高い友永さんだったが、今となっては賛否両論。それも仕方ない。というか、わりと最初の方から彼の難ありな人間性はチラホラ見えていたところがあったし、冷静になって振り返れば、ありえた展開だったなとも思えてしまう。

 ただ、ひとつ言えるのは、彼の今回の決断は皮肉にも「もう破局報告は聞きたくない」という我々の不信感に対するひとつのアンサーにもなっている、ということである。

 なぜ、そう思うのか。恋愛リアリティ番組の構造や、その中における「バチェラー・ジャパン」の立ち位置と歪さ、そして友永氏が他のバチェラーと違う点などを振り返りながら考えたい。

■恋愛リアリティにおける「リアル」とは

 そもそも「恋愛リアリティ番組」というコンテンツの構造自体が、なかなか歪なものである。

 一視聴者は決してその裏側を知り得ないので、果たしてそれがどこまでリアルで、どこまでが作られたものなのか、論ずることは不可能だ。たとえ参加者にどれだけ同情せざるを得ない出来事が起こっていても、映らなければなかったことになってしまう世界である。

「あいのり」や「テラスハウス」そして「バチェラー・ジャパン」でもまた、度々「台本がない」という言葉でそのリアリティを表現しようとするが、台本がないからリアルな世界が映し出されるという意味ではない。ここでいうリアルというのは、「台本がないまま舞台に上がり即興で演じる役者たち」程度のニュアンスが正しい

「あいのり」であれば「世界旅行で共に乗るピンクワゴン」、「テラスハウス」であれば「一つ屋根の下で暮らす生活」。

 その舞台上でどのように立ち振る舞うか、そこに参加者の責任が生じてくる。当然モラルのない行動をすれば叩かれるし、素敵な恋をすれば盛り上がる。たまにテラスハウスで、特に何もイベントを巻き起こさずにサッと卒業する人に対して「売名だ」と叩かれる場面があるが、それは舞台上で何一つ責任を果たしていない人たちへの非難として成立してしまっている(テラスハウスは、決して恋愛だけが目的とした建前ではないが)。

 逆に言えば、その舞台から下りてしまえば、彼らがどう振る舞おうと番組に対する責任はない。たとえそこで成立したカップルが別れてしまっても(多々ある)、彼らが謝罪をする必要はないのだ。舞台上ではとても素晴らしい「リアリティのあるやり取り」を視聴者に提供したわけだから。

■「バチェラー・ジャパン」の異質さ

 しかし、「バチェラー・ジャパン」はその点で異質である。「社会的に成功している容姿端麗な男性との”結婚”を巡って数多の女性が競い合う」という前提のもと成り立っているため、当然のように彼らは番組後の動向まで注視されることになる。そもそも番組のルールは「結婚を前提に付き合う」であり、契約関係を結ぶことは絶対ではないが、当然視聴者の期待感は生まれる。結果として、彼らは舞台を下りたあとも、結婚という契約関係を結ばない限りこの番組における責務を果たせていないように見えてしまう構造になってしまっているのだ。

 それを前提にしているとは言うものの、たった数ヶ月の間に初対面同士で「結婚」を納得できるほどの関係性を作り上げないといけない、というのはなかなか難儀な設定だ。

「だからこそ、男女ともにガチのぶつかり合いが見れるんだ」

 そう思う人も多いだろう。私もそう思って最初は見ていたが、シーズン1、シーズン2、と2回を経て、だんだんと気づくのである。

どうやら、結婚までいくのは難しそうだ

 シーズン1では久保裕丈さんと蒼川愛さんの破局、シーズン2では小柳津林太郎さんと倉田茉美さんの破局、いずれも次のシーズンが始まるぞ、というところでの報告が続いた。

 どれだけ熾烈な争いを経て、ドラマチックなローズセレモニーと熱いキスを交わしても、一年足らずで別れてしまうのである。観ている側からすれば、観るモチベーションをどこに保てばいいのかわからくなる。リアリティ番組というより、もはや設定劇である

 そして、追い打ちをかけるような「人間むきだし」という(他番組を彷彿とさせる)PRが目に止めるようになったのが、シーズン3が始まる直前、今年の8月頃の話である。「今までの何がむき出しだったのか?」と思った人は私だけじゃないだろう。

 しかし皮肉にも、今回のシーズン3は、人間、というかバチェラーの人間性がむき出しになったという点でその言葉は確かであった。