「放射能」はどうやって私たちのところへ来たのか? アート・コミックで1900年パリと2011年の福島をつなぐ

マンガ

公開日:2019/11/10

『光の子ども』3(小林エリカ/リトルモア)

 2011年3月11日からの数日間、あなたは福島第一原子力発電所事故の報道をどのように見聞きしただろう。テレビやラジオは、メルトダウン、水素爆発、放射性物質の放出、といった耳慣れない言葉を叫び、大破した建屋を映し出した。枝野幸男内閣官房長官(当時)は、不確実な噂などに惑わされることなく、確実な情報だけに従って行動するよう呼びかけたが、私は無知ゆえに、なにが確実でなにが不確実なのかの判断さえ難しく、ただただ見えない放射線に怯えた。日本に住む多くの人は、同じような経験をしたのではないだろうか。

 福島第一原発の事故は、現代を生きる我々に“放射能”への恐怖を体感させたが、それがいったい何者であるかという理解については、災害への対策が優先されて、後回しになったように思う。だが、災害や事故に対する備えは、欠けが見つかった以上埋めておくべきだ。だからこそ、今、あらためて“放射能”について考えるための手がかりとしたいのが、アート・コミック『光の子ども』(小林エリカ/リトルモア)である。

 主人公の光は、フランスで放射線が発見された115年後にあたる2011年──東日本を大震災が襲った年に生まれた。光は、学校が終わると街で花を摘み、マンションに住み着いている片目の猫・エルヴィンとともに帰宅する。

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 妹の真理を救うために、光のない場所に連れていってやりたい。けれど、光にできることはなかった。真理をかがやかせるものに復讐したくても、誰に、どうやって報復すればよいのかわからないのだ。なにもかもを見ているだけの状況にうんざりしていた光だが、あるとき、猫のエルヴィンを追いかけて、不思議な場所にたどり着く。

 暗闇を抜けたそこは、1900年のフランス。“放射能”の名づけ親である科学者マリ・キュリーらが研究発表をした、パリ万国博覧会が開催されている場所だ。しかし光に、そんなことはわからない。「ここはどこ?!」。光は、彼を導くように駆けてゆくエルヴィンと、自分を呼ぶ声を頼りに街をさまよい…。

 光の前に現れた少女の名はイレーヌ。マリ・キュリーの娘だ。このときから光は、時間と場所を行き来して、真理を苦しめる“放射能”──現代のエネルギー問題につながる“光”が、いつ、どこから、どのようにやってきたのか、その歴史をひもといていくことになる。

 マリが発見し「わが子」と呼んだラジウム、強い放射線を発するそれの幻想的な青白い光は、皮膚疾患や癌の治療に使えるのではと期待された、人類の希望でもあった。とかく危険なイメージがついて回る“放射能”だが、考えてみれば、食事に使うフォークや果物ナイフでも、人を殺すことはできる。

 放射能研究の歴史を描いた小説『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で芥川賞・三島賞候補となった著者が、コミックやテキスト、写真に加えて、歴史年表や地図といった資料を巧みに配し、多角的に時代の流れを体感させてくれる本作。放射能の有用性や危険性を正しく理解できたなら、人類が長い研究の末に得た光を、闇雲に恐れることも、無謀に振り回すこともなく、未来を明るく照らすものとして使うことができるだろう。この“物語”は3巻に至り、史実にフィクションを交えながらますます広がっていく――。

文=三田ゆき