幕末の渦の真ん中、会津の女と薩摩藩士は“終末”へひた走る。『荒城に白百合ありて』

文芸・カルチャー

公開日:2019/11/21

『荒城に白百合ありて』(須賀しのぶ/KADOKAWA)

 病めるときも健やかなるときも、共に生きていく――。恋が行き着く先には、おおむねそんな健全な誓いが待っている。けれども共に生きることだけが、本当に恋の成就のすべてだろうか?

 ベルリンの壁崩壊前夜の東ドイツを舞台にした『革命前夜』で大藪春彦賞を、第二次大戦下のポーランドの悲劇を描いた『また、桜の国で』で高校生直木賞をそれぞれ受賞。海外の近現代史を題材に取ることが多かった作家・須賀しのぶが、初めて幕末の日本を舞台にした小説を刊行した。

 最新作『荒城に白百合ありて』(KADOKAWA)は、会津の女と薩摩の男、2人の主人公の視点から綴られる幕末動乱期の物語だ。

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 江戸末期、黒船の来航によって変革の気運が高まりつつある中、会津藩士の長女である青垣鏡子は騒がしい世の中をどこか醒めた目で眺めていた。江戸の会津上屋敷内で生まれ育ちながらも、“会津の女”として母から厳しく躾けられてきた少女は、いずれは嫁に行き、子を産み、家を護る己の未来に何の疑いも抱かず従順な日々を過ごしていた。

 同じ頃、薩摩藩士の三男である岡元伊織は、昌平坂学問所で学ぶため江戸へやってくる。攘夷か、開国か。議論を戦わせる学友をよそに、彼もまた心に空虚なものを抱えていた。

 本来ならば出会うはずのなかった二人の運命を変えたのは、安政の大地震の夜だ。江戸の町が燃えた夜、幼い鏡子の内に潜んでいた獰猛な欲望が目を覚ましたのだ。その姿を見た伊織は、鏡子が自分と同じく「この世に馴染めぬ者」だと知る……。

 ふたりを結び付けるのは、大地震の夜に生まれた秘密だけ。やがて伊織を気に入った鏡子の父と兄は、伊織がいる酒席で彼との縁談を鏡子に持ちかける。皆の前では感情を失った目でそれを承諾した鏡子。だが、伊織とふたりきりになったとき、彼女は嫌悪に歪んだ顔でこう言い放つ。

「決してあなたと結婚などいたしません」

 生まれてから一度も否と言ったことがない従順な少女が、人生で初めて表した激しい拒絶。“虚ろな洞”を抱えるふたりの関係性は、表面上は無風のまま、重なり、遠ざかり、再び近づいていく。

 一方、幕府に見切りをつけた伊織の薩摩藩は、長州藩と共に倒幕派に方針を転換。徳川将軍家に忠誠を誓う鏡子の会津藩と敵対することになるが……。

 ふたりが面と向かって言葉を交わし合う機会は、数えるほどしかない。けれどもそれぞれの心の奥底には、常に相手のための場所がある。

 どんな性別で、どこの国に、いつの時代に生まれるのか。人生の出発点は選びようがなく、生まれ落ちた瞬間から誰もが何らかの“枷”を掛けられる。鏡子は会津の女として、伊織は薩摩の男として。そう生きることを定められていた。

 須賀作品に登場する々は、誰もがそれぞれのやり方で枷を外そうともがく。その真摯な生き様は、読者の心にさまざまな問いの波紋を起こす。鏡子と伊織のこれは恋なのか? そもそも恋とはなのか? 今を生きる私達は本当に自由なのだろうか?

 そして物語の終盤、伊織は鏡子を心底から欲して胸の内で呟く。

「自分は、あの美しい、異形の女がどうしても欲しいのだ。体はいらぬ。心もいらぬ――」

 ならば伊織は鏡子に何を望むのか? そして鏡子は何を求めて彼のもとへ駆けるのか? ふたりが行き着いた恋の成就の形とは? 動乱の時代だからこそ、美しく咲く花もあるのだ。

文=阿部花恵