この小説を読んでもあなたは常識を疑わずにいられるか? 文学史上に刻む危険な短編集『生命式』

文芸・カルチャー

公開日:2019/11/15

『生命式』(村田沙耶香/河出書房新社)

 決してグロテスクなシーンはない。猟奇的なシーンもない。描かれているのは、ある世界を生きる人々の日常だけだ。大事件や大波乱はまったく起きない。

 しかし『生命式』(村田沙耶香/河出書房新社)を読むと、どうしてこんなにもゾクゾクするのだろう。小説を閉じて、現実に戻るべく立ち上がろうとすると、どうにもクラクラする。足元がおぼつかないのではない。頭の中の常識や価値観がガラリと形を変えそうで目まいがした。

 本作は、芥川賞を受賞した『コンビニ人間』の作者・村田沙耶香さんによる、文学史上に刻む危険な短編集だ。この本に収められた12編のストーリーは、それだけ濃厚で痺れるような香りがする。

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 ぜひ読者には本作の表題になった「生命式」を読んでもらいたい。この世界では、葬式の代わりに、亡くなった人を偲んで食べる慣習「生命式」が一般的になった。故人の肉を美味しく調理して頂くことが、新しい弔いの形になったのだ。

 さらに生命式で出会った男女は、互いに気持ちが通じ合えば式から退場し、どこかでセックスを行う。死から生を生む、どちらかというと動物の世界に近い行いだ。主人公である真保は、この新しい慣習に違和感を覚えていたが、ある出来事をきっかけに受け入れるようになる。これが「生命式」のあらすじだ。

 死んだ人の肉を調理して食べる。これだけで嫌悪感を覚える人もいるだろう。それが常識であり一般的な価値観だ。しかしここで考えたい。私たちは毎日のように死んだ肉を美味しく食べている。なんの疑いもなく。世界中で数多の動物を効率的に飼育し、嫌な場面を日常から切り捨て、絶品料理に仕上げる卓越した調理法も確立した。見方を変えれば、残酷なことこの上ない。

 ならば故人の思い出を語り合いながら、その肉を美味しく頂く「生命式」は、絶対的に非難すべきものだろうか? 故人の死が新たな生を生み出す行いに、まったく価値がないと言い切れるのか? 本作に、ある人物の印象的なセリフがある。

正常は発狂の一種でしょう? この世で唯一の、許される発狂を正常と呼ぶんだって僕は思います。

 本作は一貫して読者に、物事の本質を問う。常識とはなにか。価値観とはなにか。それは時代の流れや大衆心理によって、いとも簡単に形を変えていくものだ。目の前の正常は、明日になれば異常になるかもしれない。ならば私たちの心の中で大事に抱きしめているなにかは、明日も明後日も、これからずっと先も、大事に抱きしめているだけの価値があるのだろうか。

 私たちは、死んだ動物の体毛や皮を素材にして、衣服やバッグを作り、美しく着飾る。ならば死んだ人間の髪の毛や皮ふも、衣服やバッグの素材になるかもしれない。人の骨で作った指輪が大変高級なアクセサリーになり、美しく着飾れるはずだ。動物の素材と人間の素材、どちらにどんな違いがあるのか。それを男女の物語にして問うのが「素敵な素材」だ。

「二人家族」では、中高年の女性2人がパートナーになるわけでもなく一緒に暮らし、子どもと幸せな家庭を築いた姿を温かく描く。その穏やかな光景にうらやましさや微笑ましさを覚える。普通という常識にとらわれている人ほど、きっと本作が心に焼きつくに違いない。

 目に映るいつもの日常も、頭の中が変われば違った光景になる。この本はそのきっかけになりうる、毒にも薬にも似た恐ろしき1冊なのだ。

文=いのうえゆきひろ