「やせる=かわいい」に隠されたワナ。終わりなきダイエット幻想の裏側

暮らし

公開日:2019/11/16

『ダイエット幻想 やせること、愛されること』(磯野真穂/筑摩書房)

 日本の女子は常に、とは言わないまでも、人生の多くの時期において、過剰に「やせたい」と願っているような気がする(ちなみに筆者である私も女性だ)。近年は女性だけでなく男性にもやせ願望は広がっているが、男性は筋肉増の願望もある。一方で、女性は華奢なスタイルを目指してやせたがる人が多い。また、「私はこれで◯○キロやせました」のようなダイエット関連商品の広告がパソコン操作の邪魔になるほど多いと感じている人も多いだろう。それだけ、女性にとって「やせる」ことには価値があると考えられているのだろう。やせれば最高の自分になれる、モテる、SNSのいいねも増える…と妄想は膨らむばかりだ。

『ダイエット幻想 やせること、愛されること』(磯野真穂/筑摩書房)は、文化人類学者の著者が、「やせたい」ということについて医学的見地ではなく、文化的な観点から考えた1冊だ。特徴は、やせたいという気持ちが日本人に特に強いことに注目し、「やせたい」と「かわいい」の関係に着目している点。では早速、中身を覗いてみよう。

■「やせる」に付随するメリット

 世のやせたい願望に反するようだが、実は日本ではこの10年、若い女性の「やせすぎ」が問題になっている。なんと、20代女性の5人に1人がBMI18.5未満の体重だという(BMI=[体重kg]÷[身長mの2乗]で算出する値で、日本肥満学会の基準では18.5未満が低体重とされる)。

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 やせすぎは、生理不順や妊娠への影響、骨粗鬆症などにつながるリスクがある。そんなことは知っているという人も多いだろうが、それにもかかわらず必要以上のやせ願望がある。どうして女子はそんなにやせたがるのだろう? やせていた方がいいと思ってしまう理由、つまり、「やせる」に付随するメリットは何なのだろうか?

 著者はこのメリットを、健康的で良いパフォーマンスが出せるかどうかではなく、他人や世間にどう思われたいかに基づく「プラスの意味付け」なのだと説く。要は、自分目線ではなく他者目線。他人の意識や世間の中で、自分の価値を高く位置付けたいのだ。これは、「私を褒めて、認めて」という承認欲求でもある。では、日本の社会ではどんな人物に高評価を与えるのだろうか? そしてそれは「やせる」とどうかかわっているというのだろう?

■「やせる」=「かわいい」?

 この疑問に対し、著者は、日本特有の文化「かわいい」に注目する。

 きっかけは、海外留学中の日本の女子学生の様子を目にしたことだという。授業中に発表の場で質問され、答えられないと笑って誤魔化したり、時には泣き出したりする学生たち。彼女たちは、現地の同年代の女子学生と比べて自己主張がないように見える。「わからないからもう一回教えて」「それは違うと思う、私はこう考える」と堂々と主張や議論することが少ない。これは、日本であれば特に問題視されず、女子としてかわいいととらえられてきたことかもしれない。

 では、その「かわいい」とは何なのか? 著者は2017年9月に「かわいいの作り方」というディスカッションを開いており、その中で出席者が挙げた「かわいい」に必要な要素は次のようなものだった。
・あどけない
・声が高い
・隙がある
などだ。これらをその場の結論としてまとめたところ、「かわいい」は「相手に威圧感や危害を与えず素直で従順で幼げである」という意味に決着したそうだ。加えて、著者は、四方田犬彦氏の「赤ちゃんや子猫を『かわいい』と思うのは、彼らが無防備かつ無力で他人からの保護と愛情を必要とするからだ」という文章を引用し、「かわいい」は「従順で守ってあげたくなる存在」でもあるという。

 そして、「守られる存在になること」が、やせたい願望に隠れた密かな期待であるのではと著者は推測する。多くの人間(男性?)に守られる女性…もしそうなれたら、確かに生き物としての生存率は高くなりそうだ。ただし、自立した存在として扱われないかもしれないし、自由がなく窮屈に感じるかもしれない。

 とはいえ、現実的には「やせたい」と願う理由は女子も男子も個々それぞれだ。本書では、あくまで人類学的な視点から推測して「生き残りたい→守られたい→かわいい存在でいたい→やせたい」という構図をあぶり出すが、ピンと来ない人もいるだろう。きっとそれでいいのだ。響かない人ほど精神的に自立しているのだから。もし、今も漠然とした「やせたい願望」に囚われているのなら、本当の心の叫びに気付いていないのかもしれない。ひと休みしてページをめくるべし。

文=奥みんす