美しいってなんだ!? これからやって来るAI時代に試される「美学」への招待

文芸・カルチャー

2020/2/15

『美学への招待』(佐々木健一/中央公論新社)

「AIでなにをどこまでできるか」というのは、多くの人が関心を持っているテーマではないでしょうか。身近なところで言うと、たとえば自動翻訳。数年前、自動翻訳の精度はまだまだ人にはかなわないと言われていました。日本語と英語はそれぞれ全く異なる言語体系に属することから、正確な翻訳は難しいと考えられてきたためです。

 ところが筆者には、先日それを覆すようなことがありました。外国人に宛てたメッセージを作成する機会があったので、それを興味本位でGoogleの英日翻訳にかけてみたところ、かなり自然に翻訳された日本語の文章が表示されました。意味が通じるレベルどころか、そのまま書いても全く不自然ではありません。数年前までの自動翻訳のレベルが嘘のよう。この調子でいくと、私たちの生活の大部分が機械化されるのはそう遠くないだろうと思った出来事でした。

「“超人的”なスピードで発展するAIの技術を前にして、私たち人間ができることはなにか」。今、世の中ではそうした議論が高まっています。そのうちのひとつとして注目・有望視されているのが「美」の領域。

 なぜなら、価値判断を含む美についての評価は、今のところ人にしかできないと考えられているからです。そうした時代にあって、日に日に重要度を増しているのが「美とはなにか」というテーマ。これについて詳しく知りたい人に『美学への招待』(佐々木健一/中央公論新社)という本をおすすめします。

 美というと、高尚な芸術の世界を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、本書が解説するのは「美しい」とはなにかというもっと身近なテーマです。筆者が興味を引かれたのは、美をセンスの側面から解説している章。

「あの人にはセンスがある」という表現、よくしますよね。美はもともと感性のもの。ですから、センスについて考えることは美学にふさわしいといえるでしょう。著者は、センスとは「言葉にならないこと」であるといいます。

 たとえば「テーブルの上にりんごがある」という事実を言葉にするのは簡単です。一方、「テーブルの上に赤いりんごと青いりんごがある」というときの、赤さや青さの程度についてはどうでしょうか。ここで著者は、「事実は言葉になるが『どのように』あるかという有様は言葉にならない。あるいはなりにくい」と書いています。

 つまり“センス”とは、「有様」という、言葉になりにくいものをどの程度の網の目の細かさで表現できるかということと同義で、それを表現するためのコミュニケーションの幅が“語彙”であるというのが本書の主張です。

 言葉になりにくいものを表現できる能力=センス、と考えてみると表現の工夫が芸術だけの特殊な事柄であると考えるのは早計といえるでしょう。スポーツについて語られるセンスについて見れば、これが単なる筋肉の運動でないことは明らかです。ここでいうセンスとは、心の働きや、全体的かつ総合的な判断力のことをいうからです。

 そこでつながってくるのが、冒頭のAIの話題です。AIは「美」を作り出すことができるのか。それについての著者の考えはどのようなもので、どのような経緯を経て結論に至るかについて、興味のある人はぜひ本書を読んでみてください。

 芸術にそれほど関心のない人にとっては、美について考えることに、どれほどの価値があるのか疑問に思うかもしれません。しかし、本書を読むとそれは大きな間違いであることに気がつきます。

 はっきりとした正解のないものについて考えをめぐらせること、美を通じて人間の創造活動とはなにかについて考えることはとても重要です。特にAIに脅威を感じている人こそ、本書をガイドに、言葉にするのが難しい、分かりにくい領域について考えてみることをおすすめします。

文=いづつえり