映画を超える仰天ストーリー! ムンク「叫び」盗難事件と奪還劇

文芸・カルチャー

公開日:2019/12/7

『失われたアートの謎を解く』(青い日記帳:監修/筑摩書房)

 世界には数々の芸術作品が残されている。フェルメールやゴッホ、ムンクといったさまざまな画家たちの名前が広く知られており、有名な絵画は高額で取引されるほどそれぞれの価値が認められている一方で、ときとして「人間のエゴ」により悲劇に見舞われてきた歴史もある。
 
『失われたアートの謎を解く』(青い日記帳:監修/筑摩書房)は、名画にまつわる“黒歴史”に迫った1冊。さまざまな絵画の貴重な写真も多数収録されている本書は、盗難や損傷などの被害を受けた名画にまつわるエピソードを紹介しつつ、「美術史の知られざる裏の顔」に焦点を当てる。

■まさかの盗難! 犯行わずか50秒、ハンマーひとつで盗まれた名画

 タイトルを聞けば誰もが容易に想像しうる名画、ムンクの「叫び」もかつて盗難被害に遭ったことがある。事件発生は、1994年2月12日。くしくも、ムンクの出身地であるノルウェーでリレハンメル五輪の開会式が行われた日であった。

 犯人は2人組の男で、彼らは雪の積もっていた真冬の早朝6時半に、作品が所蔵されていたオスロ国立美術館へ侵入。ハシゴを使い窓ガラスをハンマーで叩き割り、ワイヤーを切り離して「叫び」を持ち出して逃げ出すまでの時間はわずか50秒だったという。

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 その後、ノルウェー警察は監視カメラで足取りを追おうとしたが、録画は劣悪な画質だったため犯人の詳細な姿を捉えられなかった。目撃者もなく、指紋の採取もできないまま。さらに、犯人から名画を買い戻す要求もなかったため、手がかりがないまま捜査は暗礁に乗り上げてしまった…。

■捜査官の発案で大胆なおとり捜査を決行

 当時、世界中で大々的に報じられたこの「叫び」の盗難事件。ノルウェーから離れた地、イギリスで事件に関心を寄せていた男がいた。それが、ロンドン警視庁美術特捜班の捜査員であり、過去にフェルメールやゴヤの盗難作品を回収した経験もある、チャーリー・ヒルである。

 事件発生から数週間後に、ヒルは、薬の密売で服役し仮釈放中であったビリー・ハーウッドという男から「犯人と面識がある」という情報を受けていた。そして、ノルウェー警察との国を超えた共同捜査が始まった。結果としてビリーの仲介話は空振りに終わったのだが、世界的な名画が盗まれている事態を、そのまま見過ごすわけにはいかない。そこで、ヒルをはじめとした捜査班は、おとり捜査を決行した。

 ヒルが考案した筋書きはこうだ。まず、豊富な資金を有することで知られるアメリカのJ・ポール・ゲティ美術館の職員にヒルがなりすまし、裏社会へ「警察に知らせないで、『叫び』を極秘に買戻す用意がある」という噂を流す。そして、この話に食いついてきた犯人を取引の現場で逮捕し、その場で絵を取り戻すという作戦だった。

■事件発生から約3カ月弱、いよいよ訪れた運命の瞬間

 事件発生から約2カ月半後にあたる、1994年4月24日。捜査班のもとに、ある有力な情報が飛び込んできた。オスロ国立美術館にある画商が「ヨンセンという自分の顧客が、『叫び』返還の段取りをつけられる人物を知っている」という連絡をよこしてきたのだ。

 その後、5月5日に内偵捜査を進めていたヒルが、オスロ市内のホテルでヨンセンと接触。ゲティ美術館の職員であるとヨンセンに信じ込ませ、幾度かの交渉を経て、「叫び」を53万ドルで取引することに決まった。

 そして、運命の日が訪れた。交渉を終えた2日後、ヒルはオスロから南に100キロの地点にあるオースゴールストランのサマーハウスへ向かった。そこで待っていたヨンセンの前で、みずからの目で「叫び」の真贋を確認する。本物だ。現金引き渡し役の相棒へ電話するふりをしてヒルが警察へ連絡してからしばらくして、突入した警官隊との取っ組み合いの末に、ヨンセンは逮捕された。

 本書ではこのほかにも、悲劇に見舞われた絵画にまつわるエピソードが多数紹介されている。美術の歴史は「人間の欲望の歴史」でもあると本書は語る。その欲望には人間の持つ本質が垣間見えるのも事実だ。

文=カネコシュウヘイ