嫉妬、見栄、偏見、そして愛。国境なき人の感情をナイジェリア出身の女性が描き出す『なにかが首のまわりに』

文芸・カルチャー

2019/12/7

『なにかが首のまわりに』(チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ/河出書房新社)

 ンケム。ジョシュ。ウカマカ。『なにかが首のまわりに』(河出書房新社)に登場する女性たちの名前は、私たちの日常からははるか遠い。ナイジェリア出身の著者チママンダ・ンゴズィ・アディーチェが、内戦中のナイジェリアや移民先のアメリカに生きる女性たちを描いた12の短編集なのだが、けれど感覚として遠いのは名前だけで、語られる感情や境遇への違和感はすぐ隣にたつ人のもののように思える。いやむしろ、自分のなかに厳然と存在し続けるものがときどき、はっとたちあらわれる。

 たとえば「イミテーション」は、アメリカで子育てする妻とナイジェリアに残り働き続ける夫の物語。仕事の都合で年に2回しか会えない夫がどうやら若い女を自宅に連れ込んでいるらしい、と密告をうけた妻による葛藤が主だ。夫のステータスを誇らしく思い、最初は毎月だった夫の訪れが減っても、アメリカでの生活がよすぎてナイジェリアに帰ることなど考えもしない妻。というとずいぶん傲慢なようだが、出会いの経緯をはじめ、夫にまつわる回想の端々から「ああまだ好きなんだな」と感じられ、それは愛情ではなくただの執着かもしれないけれど「わかるよーわかるわかる」と肩を抱きたくなってくる。個人差はあるだろうが、2話目にこれが差し込まれたことで一気に、これは日本もナイジェリアもアメリカも関係ない女性たちの物語なんだ、と強く思わされ、その後の物語も自分や自分のともだちのことのようにするすると読み進められた。

 はっとする一文はそこかしこにちりばめられている。〈毎月、毎月、生理が執拗にやってくるたびに、あっけなく孕んだ赤ん坊を連れた、こぎれいな装いをした女たちが恨めしかったし、「健全な親であること」などと軽やかにいうのも不愉快だった〉(「先週の月曜日に」)。〈(黒人と白人のカップルをみて)白人の男女のなかには「すてきなペアだこと」と、いかにも明るく、大声でいう人もいた。まるで自分の偏見のなさを自分自身に納得させようとしているみたいに〉(「なにかが首のまわりに」)。夫の浮気から不妊の苦しみ、日常に善意とともにまぎれこんだ無自覚で傲慢な差別。彼女たちの全員が、はっきり、わかりやすく、虐げられているわけではない。けれどそうではないからこそ、じわじわと真綿で首を締めるかのように息苦しさがつのり、自尊心が削られていく。内戦があってもなくても、人としての苦しみや喜びに国境はない。

 いちばん印象的なのは「明日は遠すぎて」という短編だった。ナイジェリアにあるおばあちゃんの家で過ごした最後の夏。〈あれは空に稲光が光ってマンゴーの木に雷が落ちて、幹がまっぷたつに割けるのを、きみがじっと見ていた夏だった〉。その一文から語られはじめる、10歳の兄・ノンソの死。その真相もまた国境のない“人の感情”が根底にあるが、それ以前にこの文章のあまりの美しさにうたれた。流麗な文章で切り取られる女たちの人生を、流れるように読み進めるうち、自分たちの思い込みを超えて新たな河岸へたどりつく、そんな小説だった。

文=立花もも