江戸時代の「御触書」にあった意外な内容は? 生々しい庶民の暮らしが浮き彫りに!

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公開日:2019/12/12

『江戸の御触書』(楠木誠一郎/祥伝社)

 道路交通法が改正され「ながら運転」が厳罰化したとニュースで報道された。こういった規則の改正は、現代でこそテレビやインターネットなどで知ることができるが、このような技術や媒体がなかった時代――たとえば江戸時代ではどうだったのだろうか?
 
 江戸時代にその主な役割を担っていたのは、「高札場」である。「高札」という木の板に幕府からの規則などを記した「御触書」を掲げる場所のことで、江戸には35カ所あった。江戸時代でも現代でも、人が生活する社会においては、さまざまな問題が発生する。したがって、江戸時代の「御触書」を見れば、その時代にどのような問題が起きていたかがよく分かるのだ。『江戸の御触書』(楠木誠一郎/祥伝社)は江戸の高札場にどのような御触書が掲示されていたのか、現代人にも分かりやすく解説してくれる。
 
「高札場」と聞くと、時代劇が好きな人は、橋の袂などで掲示板が掲げられた場所に庶民が集まっているシーンを思い浮かべるかもしれない。時代劇ではドラマとして当然ながら、事件がらみの御触書が多いので「人相書」の掲示を見ることが多いだろうか。もちろんそういうものも多かったが、実は御触書の内容はもっと多岐にわたるのだ。では一体、どんなことが書かれていたのか。気になるものをピックアップしてみよう。

■「男女混浴すべからず」

 温泉も銭湯も日本が誇る文化であり、基本的に入浴は男女で分かれている。しかし江戸時代中期くらいまでは、男女混浴があたりまえだったそうだ。江戸時代初期には「湯女(ゆな)」と呼ばれる銭湯お抱えの遊女までいたのだ。だが幕府はこれを「風俗之ために宜からざる」として禁止した。場所で男女が分けられない場合は、日にちによって男女の入浴日を分けるといった方法が御触書によって指示されたのである。

 やはりいつの時代にも、「風紀の乱れ」については「お上」が神経を尖らせているということか。

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■人相書「この賊の情報を求む!」

 時代劇でよく見る「人相書」だが、これはフィクションではなく実際の御触書にも存在した。その人相書がどのようなものかといえば、かなり細かい特徴まで描写されていたようだ。背丈や実年齢はいうに及ばず、見かけの年齢や傷の有無、歯並びや着物の柄にいたるまで、相当な細かさである。もちろん写真などない時代ゆえ、絵や言葉で細かな情報を伝えることは不可欠だったのかもしれないが、それでも庶民からの情報が寄せられることは少なかったという。だが指名手配された犯罪者は自首するケースが多かったそうで、人相書は犯人を追い詰め、観念させる狙いもあったのかもしれない。

■「目安箱の直訴状には住所氏名を明記せよ」

 八代将軍・徳川吉宗の時代に設けられた「目安箱」は、教科書でも取り上げられよく知られている。一般的には「訴えたいことを書いて投函する」と簡単に考えられていそうだが、実際はルールが厳しかったらしい。

 訴えたいことがある者は、まず名前と住所を明記し、毎月の決まった日付の正午までに目安箱へ入れなければならない。その内容に関しても、「政治に役立つこと。役人などの悪事。役人が放置している訴訟ごと」といったことについて直訴せよと御触書に書かれている。他にもいろいろ細則があり、現代におけるSNSに投稿するような気軽なものではなかったことがうかがえる。

 この他、ふだんの服装から祭りの屋台のルールにいたるまで、御触書によって庶民の生活は幕府から厳しく指摘されていた。とはいえ、庶民がそれを必ず守っていたかといえばそうでもなさそうだ。そのことは、何度も同じ内容の御触書が出されていることからも読み取れる。それはおそらく現代でも同じであり、たとえば「ながら運転」が厳罰化されても、守らない者はきっと出てくる。そういう意味では、人の本質は基本的に変わらないということも「御触書」から読み取れそうだ。

文=木谷誠