「チンギス・ハン=源義経」説が20世紀にもてはやされた理由は? 日本史と世界史をつなげてみると!?

文芸・カルチャー

公開日:2019/12/22

『つなげてみれば超わかる 日本史×世界史』(森村宗冬/彩図社)

 日本人の祖先がイスラエルの失われた10支族の末裔とする、日ユ同祖論なるものがある。歴史ロマンというより荒唐無稽に感じる人が多いこのトピックは、個人のルーツがどこかに所属してつながっていると安心感を得るようなものだろうか。しかし、そんなエピソードを持ち出さずとも日本は世界とつながっていると分かるのが、『つなげてみれば超わかる 日本史×世界史』(森村宗冬/彩図社)である。
 
 本書によれば、日本人のルーツについては、南方アジアと北方アジアから人の集団がそれぞれ流入し融合した、「二重構造」がほぼ定説となっており、遺伝学の研究によって「人類の誕生」はアフリカ大陸という説がもっとも有力だそうだ。

■世界にデビューした日本。その立ち位置は――

 いささか壮大な話から入ってしまったので、もう少し私たち日本からの視点で世界の動向を見ていこう。

 日本が外国の書物に初めて現れたのは1世紀頃で、中国王朝の『漢書』において「倭人はしばしば我が国に来て、皇帝にお目通りを願う」と記されているという。弥生時代の日本はまだ国々が分立しており、王権の正統性を権威づけてもらうために、中国皇帝に臣従の礼をとっていたのだ。それが3世紀に入り中国が「三国志」時代を迎えると、邪馬台国の名とともに有名な卑弥呼は、魏の王から銅鏡100枚と「親魏倭王」の金印を与えられる。これは「破格の厚遇」だという。魏が呉・蜀漢連合に曹操の時代に赤壁の戦いで敗れたため、地理的に呉の背後を牽制するという役割を日本に期待したからだと解釈できる。

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■渡来したものを取捨選択してつくられていった日本文化

 6世紀に中国から朝鮮半島を経て伝来した仏教は、当時の東アジアの「グローバルスタンダード」であり、日本が受容する意味は大きかった。なぜなら仏教とともに大陸の技術も学んで身につけることができたからだ。

 そしてもうひとつ、大きな意味があったと本書では指摘する。それは、中国が世界の中心とする「中華思想」に組み込まれないようにすることだ。仏教は古代インドで釈迦が創始した教えであり、中国起源ではない。国として力をつけ脱中国を模索していた日本は、7世紀初頭に「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す」という有名な国書を隋に送り、「治天下大王(あめのしたしろしめすおおきみ)」を「天皇」に、「倭国」という国名から「日本」へと国号を改めて、激動の東アジアの中での自主独立を固めようとした。

■金銀がつなげた日本と大航海時代のヨーロッパ

 入ってくるものがあれば、出ていくものもある。16世紀に中国の密貿易船が日本の種子島に漂着した。乗船していたポルトガル人が携えていた鉄砲(火縄銃)2挺を、種子島の領主が買い取り、刀鍛冶に研究させると、その2年後には国産化に成功した。なんと本家のヨーロッパ以上の鉄砲の保有国となり、ヨーロッパ諸国が東南アジアを武力で植民地化していた時代にあって、容易には手が出せない軍事大国としての地位を築いたのだ。

 この軍事力には非常に重要な意味があった。マルコ・ポーロが『東方見聞録』において「黄金の国」と紹介したように、金だけでなく特に日本の銀は世界中に輸出され、積んでいた船は海賊に狙われることが多かったものの、日本自体は他国から侵略されずに済んだという抑止力となったのである。

 本書では、「チンギス・ハンは源義経」だとする説についても触れている。もちろん史実として言及しているわけではなく、なぜこの説が広まったのかという背景を探る。江戸時代からささやかれていたこの説が20世紀になって注目されるようになったのは、太平洋戦争時に「チンギス・ハン(源義経)が、かつて大帝国を築いたように、20世紀の日本も巨大な版図を掌握すべき」と唱える国家主義者たちによる政治的プロパガンダ的意味あいが大きいという。

 とはいえ、自分の立ち位置や存在意義に不安を覚えたときに、人は大きな拠り所を欲してしまうかもしれない。だが、ちっぽけな自分も案外と他の世界とつながっている、と考えれば歴史を通じてロマンを感じることができる。本書でも件の説は、日本の敗戦を経て歴史ロマンの域に戻り、「歴史がときに思わぬ展開をする好例といえましょう」と結んでいる。時代を越えて歴史探求を愉しめる1冊だ。

文=清水銀嶺