セミは死に際にどんな景色を見ている? 生き物たちの“最後の輝き”から人間の生を考える

スポーツ・科学

公開日:2019/12/23

『生き物の死にざま』(稲垣栄洋/草思社)

 ふだんの生活の中でふと、自分自身の“死”について思いを巡らせる瞬間がある。命を託され生まれてきたからには、いずれ死ぬのは必然。自分が今何をやるべきかと考えると、やがてこの世からいなくなるまでに「自分にいったい何ができるんだろう」という思いが込み上げてくる。
 
 そんな感傷に浸っていたとき、たまたま手に取ったのが『生き物の死にざま』(稲垣栄洋/草思社)だった。道ばたでみかける虫や水の中に棲む魚などが、どのように生を受けてどのように死んでいくのかを哀愁たっぷりに描いたエッセイ集だ。本書を読んでみると、自分の日常のほんのわずかな悩みなどは些細で馬鹿馬鹿しく思えてくるし、不思議と生きることに対する執念にも近い気持ちがふつふつとわきあがってくるのを感じる。

■セミは死に際にどんな景色を見ている?

 例えば、本書に収録されているエッセイのひとつ「空が見えない最期」は、夏の終わりに誰もがよくみかけるセミの死体への思いを巡らせたものだ。現実世界では肌寒い季節を迎えたが、読めば誰もがその光景をまざまざと思い浮かべるだろう。

 セミは一般的に、長い幼虫の期間を経てようやく成虫となるも、地上へ出てからはおおむね7日間しか生きられない短命の象徴として語られる(最近の研究では、数週間から1カ月程度生きながらえるとされている)。死ぬ直前になぜかお腹を空へ向けている彼らの姿を私たちはみかけるのだが、著者はその光景について「別に死んだふりをしているわけではない。彼らは、もはや起き上がる力さえ残っていない。死期が近いのである」と思いを馳せる。

advertisement

 もう死んでいるのかと思ってセミの体をつついてみると、「ジジジ!」と鳴き声を上げて、最後の力を振り絞り羽をバタつかせる。そんな彼らに対して、著者はさらに「仰向けになりながら、死を待つセミ。彼らはいったい、何を思うのだろうか」と問いかける。

 その最期の姿は儚いものである一方、セミの寿命そのものは意外と長い。幼虫として何年間生きているのかは不明だとされているが、成虫になって地上へ出るまでに時間がかかるのは植物の導管から汁を吸い栄養を蓄えているためで、本書によれば「導管の中は根で吸った水に含まれるわずかな栄養分しかないので、成長するのに時間がかかる」のだという。

 それほどまでの長年の苦労がありながらも、死にざまはあまりにもあっけない。そして死ぬ直前に「セミの複眼はいったい、どんな風景を見るのだろうか」と思いを巡らせる著者は「気がつけば、まわりにはセミのむくろたちが仰向けになっている。夏ももう終わりだ。季節は秋に向かおうとしているのである」と、このエッセイを締めくくっている。

 彼らの生涯はいうなれば、何とも“エモい”。しかし、生物としてこの地球に生を受けたからにはおそらく、何かを考えながら必死に生きていたに違いない。本書『生き物の死にざま』で描かれたエッセイのどれもが、そう感じさせてくれるものばかりだ。

文=カネコシュウヘイ